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ノジャンは外人部隊の代表的な募集事務所(とはいえ立派な要塞跡なので事務所には見えない)なので、毎日少なくとも2人以上は 志願者がやって来る、多い時で実に10人近くになる時も。
自分等が入った翌日、先に居た志願者がオバーニュへ送られた為、暫くはゆったりとした人数だった。
が、2、3日で既に30人近くになっており、控え室は静かにしてても五月蝿い空間と化していた。

3日目、我々はバスに乗り、近くのアーミー・フランセの基地に向かった。
医務室で簡単な問診を受ける、女性の軍医とは英語で会話した。
別段難しい単語はなく、無事「異常無し」のサインを貰った。

確かその日の夕方だったと思う、一同は門の前に整列させられた。
ふと後ろを見ると、朝来たタチヒ人とスラブ人が私服になっている。

早々と選考で落とされたのだ。

タヒチは何かぶつぶつ言っていた、スラブは半ば諦め顔で門に向かっている。
並んでいると突如100フランが周ってきた、残ったスラブ人は「ウクライナ、ウクライナ」と言っていた。
いわゆる”餞別”である、スラブは結束が固いらしい。
彼等を見送り、夕食へ向かった。

空いた時間は皆それぞれ、自分は部屋でジャンと話していた。
左肩に大きな竜の刺青、右手の指にはクロームの指輪、いずれも友人がやってくれたと言う。
「何でここへ?」
ジャンは疲れた顔で話し始めた。
「国が最悪でね、仕事も何もあったもんじゃない。」
スラブ人は皆「国が最悪だ」と言っていた、東欧諸国の不況危機は真面目に国内力では回復は不可能だそうだ。
「皆と同じだよ、ここで新たな人生を貰い、国籍を取って両親を呼んで・・・それがオレの夢なんだ。」
彼等の動機を聞いていると自分も辛い気持ちになってくる、彼等は自国では真面目に”どうにも出来ない”のだ。
残念ながら自分は彼等そのものではないので感じる事は出来ても同情は出来ない。
彼等にも自分の置かれた状況というものがあり、下手な同情は反感になるのは百も承知だ。
「お前はなんでここへ?」
「国じゃ軍隊にいた、辞めてからはロクな事が起きなかったんで出てきたんだ。」
さすがに全てを伝えるのは無理なので、解る範囲で単語を引っ張り出して伝えた。
「両親は心配したんじゃないのか?」
「冗談じゃない、奴等さえいなきゃ自分は幸福だったんだよ。」
「最悪だったのか?」
「・・・地獄だったよ。」
あまりにも嫌な記憶、思い出したくないので言葉を進めた。
「暫くは旅をしていた、ノルマンディーの方を。金も底をついてきたんで志願したんだ。」
「なんだよ、そいつも最悪だな。」
笑いながら返されてしまった。
「最悪かい?」
「ああ、”Very Bad”だ。」
二人して笑い出してしまった。
全く違う世界から来た、日本人とポーランド人が肩を並べて笑っている・・・

本当に不思議な空間である。

彼からのタバコ攻めは相変わらず続いた、こちらが暇を持て余しているのを見ると必ず「吸えよ、言えって言ってるだろ。」
こんな具合である。
返せるものもないので10フラン(控え室にはジュースの自販機があった)を渡そうとすると「なんだよいらないって、自分で飲めよ。」
これもまたこんな具合である。
ジュースを買い、皆で回し飲みするのだがこの時も「いいからお前が飲めって。」
ホントにずっとこんな具合。

寝る時は自然と各々の国の言葉で「おやすみ」を言った。
中には何か聖書みたいな呟きをする奴もいて、「うるさい」なんて声も出る。
「まったく、静かに寝れやしない。」
言い出したのはジャンだ。
「ほう、お前の家はそんなに静かなのかい?」
誰かが聞く。
「ああ、いつも寝る時はママが歌を歌ってくれる。」
”はあ?”声には出さなかったがまたもや”マジっ?”
「おい凄いぞ、ここに乳離れの為来た奴がいる。」
皆クスクス笑い出す。
「何が可笑しいんだ、家族なんだぜ?」
・・・異国文化は不思議である・・・とだけ言っておこう。

翌日昼過ぎ、彼の姿は無かった。
夜の点呼の時にもいなかった。
礼どころか、挨拶も出来ず彼とは別れた。
ここでは珍しくない、突如いなくなるなんて。

初めての友情に感謝をした、彼の無事を祈りたい。
出来れば、再開を願って。


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