1 〜2
一通りのチェックが終わった我々は隣に並ぶ寝室に荷物を置き、廊下を挟み反対側の控室に通された。
これから南フランスの本部・オバーニュに行くまでの間、雑用以外はここに留まる事になる。
中には先に来た志願者で一杯だった、白人、黒人、アジア人、外人部隊だけあって人種はさまざまだ。
適当に空いている所を探していると、話していた白・黒人がこっちへ来いと手招きしてきた。
どうせどこにも行けないのだからと彼らの姿勢を受け間に入り込む、白人はダニエル、黒人はゴングと名乗った。
中は椅子とテレビのみ、そこに文字通りの世界各国の有象無象の野郎達が雑談している。
大体言われるのは「中国人?」といった内容だった、どうやら諸外国では想像以上に他国の情勢に疎いらしい。
「日本と中国は大陸続きだ」の、「ソニーは中国のメーカーだろ?」・・・上げていけばそれこそ限が無い。
ふと見ると一人だけ東洋人がいた、だがなんとなく’感じ’が違う。
あえて声は掛けないでいた、壁を見渡すと様々な言葉で色々と掘り込まれてる。
ロシア語、英語、韓国語・・・日本語もあったが内容は名前と出身だけだった、おそらく他も似たようなものだろう。
しばらくするとCCHが入ってきた、皆人形の様に起立する。
何か話すとフランコフォンを先頭に皆ゾロゾロと下に降りていった。
2列縦隊に整列し敷地の西側に進んでいく、食堂があった。
テーブルには既にナイフ、フォーク、パンががセッティングされており、ディスペンサーのジュースを手に皆座っていく。
パンをかじっていると雑用にされた他の志願兵が前菜、メインと食事を運んでくる、いずれも大皿にのっかっており、皆喧嘩もせず
順々に取っていく。
多国籍なこの場においてはちょっと意外だった、皆もっと意地汚いとばかり思っていたが。
食事が終わるとまた控え室に戻る、皆でテレビを見てるだけの退屈な時間だ。
しばらくするとまたCCHが入ってきた、ダニエルに何か話すとさっさと出て行く。
彼はリアクション交じりで言った、「シャワーだ。」
皆ゾロゾロと部屋へ戻りタオルを抱えて洗面所へ向かう、後でわかったのだがこの30分後には就寝だ。
20名以上の人数で3台しかないシャワーを使うので1回の時間は短い、3分足らずで全身を石鹸まみれにし、一気におとす。
中には10分くらいかけている不届き者もいて、他のヤツから「早くしろ」などどつっつかれていた。
全員が浴び終わり、就寝となる。
ふと時計に目をやる、もう22時近いというのに表は日中なみに明るい。
窓から見える青い空を見ながら”どうなるんだろうな・・・”などどボケっと考えながら眠りについた。
起床。
確か5時半だったと思う、表はとっくに明るい。
毎回思うのだがフランスの夜ってヤツは嘘じゃないのか?、皆ジャージに着替えて控え室に向かう。
6時に下に降り、正門の前で整列、朝からの当番が呼ばれる。
他の志願者と共に自分も呼ばれ、他の者はCCH引率の下、食堂の方へ向かってゆく。
何かと思えば警衛所の清掃だった、デッキブラシなホウキで床を掃き、洗剤を薄めたバケツにサピエといわれる雑巾の親玉みたいな布を浸し、
ラケットと呼ばれる水かきに巻きつけ拭いていく。
警衛所の中は自衛隊とほぼ同じ、目に見える位置に銃があり、奥に仮眠室があり・・・ここで建物の詳細なんぞ書いても意味は無いので省略する。
奥にベットのみの小部屋があった、掃除しようとするとCCHに止められた。「そこはいい、プリズン(独房)だからな。」
単語が解った自分を見てニヤっと語りかける、「入りたいのか?」答えはもちろん「ノン」だ。
また、日本と違う点は警衛以外に緊急時に完全武装で対応出来る要員が別枠で存在する事だ。
やはり軍隊なんだなと改めて実感する。
掃除が終わり朝食となる、皆コーヒーかココアを取っていく、朝からジュースを飲む奴がいない。
’壕に入れば壕に従え’、コーラを飲みたいのを我慢しココアとフランスパンという質素な食事で腹を満たす。
控え室に戻るのかと思いきやその日は丸々食堂当番(自衛隊でいうKP)だった、アーミーフランセの若い一等兵の指示の下片付け、掃除をし、集
めた食器を洗浄機に掛けていく。
自衛隊と違い殆ど熱湯を掛けて終わりみたいなやり方には衛生環境に疑問を感じた、軍隊なんてのはこんなもんなのか?
おまけに洗浄に使った機械も底に残飯のカスが残っている、一等兵は「ああ、いい、いい。」なんて言っているし。
前言撤回、さすがに”マジッ?”と思ってしまった。
洗い物の次は調理補助と下ごしらえだ。
こう見えても調理師免許を持っている・・・と言いたいところだがここは西欧、しかも言葉が通じない。
大人しく言われた通りの動作を行う、「あれを取ってくれ。」「次はそれを入れるんだ。」そんな感じだ。
特に変わったと言える事はない、ジャガイモやらピーマンやらを切って、昼食時が近づくとテーブルに食器を並べ、志願者で埋まったら配膳を
し・・・。
しいて言うなら日本ではまずお目に懸かれない種類やサイズの食材を見れた事くらい。
当然ここでは他国籍、別人種の面々といる訳だが、不思議と気にならなかった。
今までの人生で余計なハラが座ったのか、それとも事故のショックが無感情になるほど酷かったのか・・・。
夕方。
食堂支援が終わり、自分達の居る隊舎へ戻る。
皆で掃除、容量は朝の警衛所の時と一緒。
昨日と同じくシャワーを浴び、就寝。
・・・何してるんだろ、オレ。
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