2〜5
ここでの問題の一つ、タバコ。
本来の計画時、キツく禁煙を決意し、事実実行出来てた・・・矢先に事故の連続だった為、自分は今まで以上のスモーカーと化していた。
ノジャンの時もそうだったが、ここは完全に監禁されている場所、様は”ムショ”と変わりはない。
いや、”身分”が無い為、問題が起これば在る意味ムショ以上にタチが悪いかもしれない。
ここではセクションで数日置きにキオスク(売店)が開かれ、ジュースやチョコ、タバコが買える。
だが数やつり銭の関係で必ず買えるとは限らず、開いた時は常に争奪戦さながらだった。
で、手に入れば皆バン万歳、で、その後はというと・・・
無くなったら、”持ってる奴にたかる”、これが此処だった。
外人は馬鹿に計画性が無く、持ち前のタバコを吸い尽くすと平気で他人に鷹ってくる。
あまりにもあからさまなその様、かつてヨーロッパで戦争が起きた理由がよく判るかのようだ。
自分は面倒くさかったので、支障ない限り適当にくれてやっていた。
・・・が、そんな態度は後に大きく影響となった。
「あの日本人はいい奴だ。」と周りに勝手に印象付けられたのである。
特に誰からという訳でもなく、食事の際ジュースやチョコをくれたり、自分がタバコをきらすと何処からともなく「吸えよ」と差し出して
きたり・・・
まあ判りやすい奴らだった。
ある日、食堂での作業の際、パーティーがあったせいで滅茶苦茶忙しい日があった。
皆しっかりと働いていた、忙しかったが無事夕方には終了出来た。
するとCCHが「皆よくやってくれた、有難う。」と吸う人間に一本ずつタバコをくれた。
モノがどうこうより、そのCCHの気持ちに大きく感動したものだ。
別の日にも彼と配食の日があり、彼は自分を直接指名してきてくれた。
「英語は解かるか?」「少しなら」「手伝ってくれるか?」「勿論!」
こんな感じだった。
一段落過ぎ、彼は話してくれた。
「”ゲシュタボ”には行ったか?」「いえ、多分これから・・・」「Sって日本人がいる、オレの”シェフ”だ。」
朝の点呼で自分は他の2人と本部の隊舎へ行けと言われた。
言葉もなにも関係なく建物に向かう、一番上、確か5階だったと思う。
階段と廊下には扉があり、向こうからしか開かない、我々は踊り場の椅子に座って待っていた。
数時間後、扉が開き物凄くゴツい顔の先任曹長が出てきた。
「ナシヒト」「はい!」
・・・なんというか、軍隊にはよくいる”凄い顔”だ。
そのままオフィスに通された、部屋に入ると「じゃあ座って」。
そう、これまた明らかな日本語だった。
机には山のように辞書が並んで&積みあがっている、アジア担当なのが一発で解かった。
「今まで何やってたの?」「自衛隊の後、警備会社に・・・後は家で色々ありまして・・・」
自分の喋りの声は薄い、いまだにプライベートな内容は響く。
「自衛隊は何処に?」「習志野、第一空挺団に」
「・・・そう、あそこすかいらーくあるでしょ、そこの側に毎日立っている娘がいてさあ、警衛の時皆”ユーレイ”って言ってたんだよね」
元空挺のようだ、でも自分の世代とは違う。
また恐る恐る聞いてみた、「あの・・・降下塔の腕は・・・何本でした?」
「え?3本だけど?、今違うの?」
「・・・今は、4本です・・・」
恐縮しながら答えると、唇を丸めながら「〜歳がバレるう〜」と仰っていた。
おもわず「・・・大体の検討はつきました」と答えてしまう。
ここでの生活はもう20年近い方だ、「あの・・・今の階級は?」
「特務曹長」
・・・なんてこった、典型的な”シェフ”である、まさかここまで強烈な存在に会うとは。
彼はパソコンに自分のデータを打ち込んでゆく、一通り終わると手紋を採らされた。
指は基より、掌全体である、べったりインクをつけて。
終わると「じゃあ、いいから、帰っていいよ」
・・・さらっとしてるもんだ。
その日は朝イチで駆け足のテストだった。
隊舎の少し下、”ケピ・ブラン”の編集部がある建物の周り、一周400メートルを走る。
スラブの若いCPLから説明がある、フランセと英語だった。
簡単な説明だったので自分でも十分に理解できた、いちばん最後にCPLが自分に向かって言った、「Do you understand?」答えは言うまでも無く
「Yes!!!」「OK!」
12分間で7周以上走る、笛の合図で12人近い志願兵がスタートした。
鍛えていた以前ならいざ知らず、今の身体は鈍っているのでかなりきつい。
3周ほどで順位は半分ぐらいになったが、そこからは皆同じようなペースになった。
息を切らしながらもなんとか走る、笛がなった。
7周の50mほど手前だった、残念。
走り終えると駄目だった志願兵は颯爽と呼ばれ、消えていく、何故か自分の名前はなかった。
後から知ったのだが、テストでは2700mまではOKになるのだという、シャワーを浴び、着替えて裏庭へ引き返した。
最初の木曜、偶然サトシが自分の部屋へ来た、明日カステルへ行くそうだ。
「もし出来ればだけど・・・」と彼の住所と電話番号を預かった、可能なら連絡してくれと。
思わず「何かお託あれば承りますが?」と言ってしまう。
「・・・うまいなあ〜」やられた、という顔をしてサトシは部屋を出ていった。
翌日早朝、表でまだガードに立ってるルージュの一人に会った。
インドネシア出身、25歳。6年の軍歴があり、PKOの経験もあるという。
「カステルで待ってる。」「幸運を。」
握手をして別れた、”カステルで待ってる”・・・ここでの互いの無事を祈る挨拶だった。
朝一でバンに乗せられた、目の前の国道を西に真っ直ぐ進む、行き先はマルセイユの軍病院だった。
血液やら大まかな身体検査はオバーニュでやった、ここではレントゲンと正確な視力である。
自分はガチャ目なのだが普段はメガネを掛けてない、正面の模様を見ながらレンズ入れ替え式のメガネで正確な視力に戻していく。
「この位かな?」「はい」日本と同じやり方だ。
別の日にもマルセイユへ向かった、今度はレジョンの保養施設だった。
地中海を前にリゾートホテル・・・とまでは行かないまでも、十分な宿泊設備が整っている。
休暇中の兵を尻目に志願兵は掃除、食器洗い、庭の手入れ・・・とまあいつもの様にこき使われる。
土まみれになって作業を終えると洗濯されたTシャツとパンツを渡された、有り難い。
なんせオバーニュに着てからは下着以外は着替えがなく、毎日同じ服を洗って着ていた、流石に10日近く着ていると服の方が悲鳴
をあげてくる。
綺麗な服を着、子供のように喜びながらその日は終わった。
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