2〜2


裏でボーっとしている、またサイレンが鳴る。
今度は食事だ、5列程の隊列で食堂へ歩く、入るときは右側から一列で。
ここではいわゆるセルフサービス式、トレイを手に並んだ主采、副采・・・と取っていく。
終わると同じように戻り、再び裏の広場で無駄な時間を費やす。
来て早々とここも飯ぐらいしか娯楽がない事を知る、はっきり言わなくても退屈だ。

ここもまた夜は明るい、8時ごろようやく気持ち夕方になり始め、9時くらいから段々と暗くなり始める。
そろそろかなと思っていると案の定サイレンが鳴る、入浴・就寝準備。

下の倉庫でミュゼットを受け取り営庭に整列、部屋ごとに名前を呼ばれルージュ(入隊決定者)の引率で部屋に駆け上がる。
やたらとせかされる、シャワーは2分、時間が近づくと壁をガンガン叩かれせかされる。
同時に洗濯、洗面、掃除を行うのだから狭い部屋はまるでお祭りの様に賑やかだ。
一通り終わるとパンツ一丁で整列、当直のCPLかCCHの点検を受け、就寝。

起床。
朝4時半、ノジャンより1時間早い。
眠い目を擦りながら洗面を済まし、表に出る。
あたりはまだ真っ暗、おまけに寒い。
典型的な山岳部の気象だ。
皆出計らった頃にサイレン、朝食へと向かう。
あくまで原隊の兵優先の為、我々は早飯になるようだ。
とっととパンとコーヒーを腹に収め、戻る。

7時、サイレンが鳴り整列、いわゆる朝礼だ。
その日の作業員が呼ばれる、この日は道路掃除だった。
営門の警衛所は業務隊も兼ねており、箒を持って門から食堂付近までを掃いてゆく。
やはり自衛隊と変わらない。

ここではアジア人はまず中国人と呼ばれる、「おいシノワ!」こんな感じだ。
始めは面倒なので抵当に反応し、指示に従っていた。
休憩の際、わざとらしく「日本人なんだけどな・・・。」と呟いてみるとCCHは同僚に「おい、日本人だって。」と囁きあっている。
端から想像通りの反応を楽しむ、結構コミカルだ。
作業が始まると「そうか、日本人だったか。」と急に態度が変わった、解りやすい反応。
スプリンクラーを修理していると「日本人は頭がいいから助かる、シノワは馬鹿でかなわん。」などと言っていた。
評価は有り難いがまだ人種が良くわからないので「大変ですね。」とだけ返しておいた。

ここでは雑用は当たり前、同時に毎日の流れも常に同じ。
よってここから暫くは「今日は〜」とかは明示ない限り書かない。
と言うか書く気にもならない程単調、寧ろ現地では”当然”だったもんで。

CCHに付いて行く、珍しく営庭の方だ。
そのまま端の縁を進み、営庭正面の建物の裏へ入った。
裏口入門だが、そこはレジョンの記念館だった。
出だしに自分は各部隊旗の保管されている部屋の掃除を任された、おいおい。
要領は同じなので作業の問題はないが、自分は半ばショーケースに収められた部隊旗に見とれていた。
”外人部隊の歴史が目の前にある・・・”
こんな涎が垂れそうな機会はまず無い、ましてや本当に”目の前”だ。
微妙な興奮を作業で抑えながら奥へ進む、一番丁寧に飾られている。

”カマロン”だ。

現物を、正に目の前に目にしている。
半ば信じられなかった、部隊では例えるなら仏像以上に神聖な代物である。
・・・輝く義手、正に日本刀のように引き込まれる。


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