2 〜1
「起床。」
扉の開く音と同時にいつもの声が聞こえる、窓の外は珍しく?薄暗い。
行動はいつもとあまり変わらない、ただここが電車の中なだけ。
夜間走り続けた電車は、我々を無事南フランスへ届けてくれたようだ。
案の定、一箇所しかないトイレは列が出来上がっている。
歯磨きを省略して大人しく並ぶ、どうせこの後時間が無いのは解っている。
30分足らずで下車の用意、見える風景はパリを出た時の市外地と変わって山が主体となっていた。
朝6時半、ヴァール県・トゥーロンに到着。
乗り換えだ、ここからマルセイユ方面へ引き返す容でオバーニュへ向かう。
乗ってきた長い夜行列車とはうって変わって、グランビルへ行く時乗ったのと同じ2階建て・2両編成のローカル車両へ
乗り継ぐ。
座席やら僅かな空間に皆の荷物を山済みにし、約1時間半。
オバーニュに到着した。
山脈の中の開けた位置の町、駅付近は栄えているが一歩離れれば山道とそれにそって並ぶ家。
日本でいうなら長野・松本といったところか。
降りて間もなく、レジョンのバンがやってきた。
町中を過ぎ、国道沿いを10分ほど走り、営門へ。
山の麓を流用した駐屯地は門からそのまま傾斜をそって見上げられる。
はっきり言って・・・自衛隊と変わらない。
いうなれば富士地区の駐屯地と理屈は一緒、また軍隊はこんなものかと思ってしまう。
門左手へ進むと柵に囲まれた区画が見えてくる、一発で志願者の宿舎だと解った。
まず倉庫で着替える、ここでは黒地にアーミー・フランセのマーク入りのTシャツ、短パン。
靴下はおろかパンツまで、しかもブリーフだ。
終わると個人の荷物の確認、目録が作られる。
これで辞書の類以外は暫くはオサラバだ、自分のバックパックと中身は衣納に収められ、倉庫の奥へと消えていった。
一通り終わるとここでの生活用品一式〜洗面道具とシーツ、トイレットペーパー等〜がミュゼット(デイパック)に
入って支給される。
正に一式、空身で来ても大丈夫な訳だ。
本の類を自分のミュゼットに納め、慌しい整理が終わり、我々は建物裏の広場にほっぽり出された。
先に来ている志願者達が各々グループを作り雑談に興じている。
柵の方にアジアのグループを見つけた、ウォンと一緒に仲間に入る。
ノジャンで会った先に来ていた中国人もいた、名前はハオ。
見渡すと他にアジア人はいない。
ざっと見渡してもとにかくスラブ人の多さが目に付く。
後の勘定だがスラブ人7割、西欧圏1、アメリカ圏1、アジア圏1の割合だ。
横に立てただけの木の椅子に座りボケーっとしていると、いきなりサイレンが鳴った。
「何だ?」と思う間もなく皆全速力で走り出す。
集合の合図だった。
建物表の庭に整列し、それぞれの雑用に名前を呼ばれていく。
数名と共に颯爽と呼ばれた、チベットだかの出身のCCHに連れられ移動。
着いたのは食堂、兵卒ではなくスー・オフィシル(軍曹)以上専用の建物だった。
内部は豪華な装飾と歴史の記念品などが丁重に飾られており、今だ貴族社会な雰囲気をかもし出している。
だが志願者なんぞ関係ない、ここではただの小間使いだ。
皿やらワイングラスを片っ端から洗っていく。
我々は昼の分の洗物が終わった段階で開放された、あんなトコ1日中はいたくない。
もっとも、それはあとで実感する事になったのだが。
行きの逆順で引率され、セクションのカポラル(CPL・伍長)に報告されて解散。
集まった時と同じく走って裏の広場に向かう。
こんな調子の毎日が始まった。
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