愛の川と愛の泉 - River and Fountain of Love -

フランスのアルデンヌにある。
泉は黄金と雪花石膏ででき、そのきらめきを周囲の緑の草地に映している。これを作ったのは魔術師マーリンで、彼はトリスタンにこの水を飲ませて、イゾルデ王妃への恋を忘れさせようとした。この泉の水は、恋人たちを心変わりさせてしまう力を持っている。
近くには ' 愛の川 ' が流れているが、泉とは逆にこの水を飲んだ者は恋におちるという。この川の水を飲んだリナルドは美女アンジェリカに恋をして、そのあと泉の水を飲んで恋を忘れた。

アヴァロン - Avalon -

ケルト神話(Celtic mythology)

別にアヴァロ、アヴィリオン、林檎(りんご)の島とも呼ばれる。
モードレッドによって致命傷を与えられたアーサーが、3人の貴婦人の乗る船によって誘われ去っていく場所で、島だとも地下にあるともいわれる。
アーサー王の物語では、湖とアヴァロンが異界のような存在として扱われている。
その湖の三貴婦人のひとりである妖姫モルガンの起源のひとつ、ウェイルズの女神モドロン(マトローナ)の父親は地下の神でもあるアヴァロックで、アヴァロンに住んでいたといわれる。
また、アヴァロンという言葉は、周辺のいくつかの言語の林檎という言葉に綴りが近い。そこから、林檎の実る国といわれる、常若の国、妖精の国、ティル・ナ・ノーグ(・ノグ)にも重なる部分があるといわれる。

アヴァンティー - Avanti -

インド神話(Hindu mythology)

七大聖都の一つでるウッジャイニーのこと。アヴァンティカーともいう。

アヴィッチ - Avitchi -

八大地獄の最後のもので「無間地獄」を意味するサンスクリット語。
アウェルヌス - Averunus -

イタリアのプテリオ付近にある底なしの湖。
冥界へもっとも近づきやすい入り口の一つと信じられていた。

アカディネの泉 - Acadine Fountain -

著作の検証のために使われた、シシリー島の魔法の泉。投げ入れた書物が本物ならば浮き、偽物なら沈む。
アースガルド - Asgard -

北欧神話(Norse mythology )

北欧神話において、アース神族の住む世界。

アトランティス - Atlantis -

ギリシアの哲学者、プラトンの著書「対話編」に記述されている、大西洋にあったと言われる伝説の大陸。空前の繁栄を誇っていたがアテネに攻め込み神の怒りを受けて一夜にして海中に沈んだと言われる。アトランティスの存在した位置は諸説があるが、現在ではサントリニ島の大噴火によって滅びたクレタ島のミノア文明をアトランティス伝説の起源とする説が有力。
天浮橋 - あめのうきはし -

日本神話。その字からすると「天に浮く橋」である。様々な説が入り乱れていて、正確な姿が掴めない。高天原と、葦原中国を繋ぐ空間的な接地であると思われる。空にかかる「虹」の様なイメージが一般的。
アールヴヘイム - Alfheim -

北欧神話(Norse mythology )

北欧神話において、光の妖精の国。

アルブラーカ - Albraca -

古代中国の東の端にあるガラフローネの王国の要塞に囲まれた首都。ガラフローネの娘(オルランドを狂気へと追いやり、シャルルマーニュの騎士の多くを恋の虜にした)アンジェリカは、タタールの王の手から逃れてここへやってきた。
アンヌン - Annwn -

ケルト神話(Celtic mythology)

地下にある妖精の国。その支配者は、アラウン。死者の国ではなく、人間が訪れることも出来た。プゥィールはこの国の危機を助け、「アンヌンの頭領」と呼ばれた。

イザヴェル - Idavoll /Iðavöllr -

アースガルズの中心にあるアース神達の本拠地。男神12柱が鎮座する金無垢の神殿グラズヘイムや、女神達の神殿ヴィーンゴールヴが所在する。

ユミルの骸で天地が創造され、ムスペルの火で日月と星々が現れると、アース神達はここイザヴェルの野に集まってくる。

そして、オーディンを長に戴いて城市の建設が始まる。祭壇・神殿・鍛冶場がここに設営され、無尽蔵の黄金に囲まれた神々の幸福な時代が訪れた。

長く厳しい冬の時代を経て終末の時ラグナレクが訪れ、世界は崩壊する。

しかし、アース神は全滅してしまう訳ではない。やがて世界が再生していく中、生き残った者達は再びこのイザヴェルの地に集まって来、暫し自らの来し方に思いを馳せるのである。

果て無き繰り返しを暗示しつつ、その先の未来は語られていない。

イス - Is -

グラロン王が治めたブリュターニュ地方[フランス北西部]の町。
この町には、あらゆる種類の放蕩、贅沢がはびこり、王の娘であるダユ王女は自ら率先して乱行の限りを尽くした。
その中で、グラロン王だけが天罰を恐れた。
そして、予言者ゲレノが王に「海は溢れ、イスの町は消え去るでしょう」と予言する。
グラロン王は後ろにダユを乗せて、馬を駆って逃げ出した。
予言は的中し、イスの町は水に呑まれて沈んだ。イスの町の一部の盆地は水に沈み、現在その場所はドゥアルヌネ湾と呼ばれている。
また、イースグローバルガイドブックにおいて、パリ[paris]はイス[is]に打ち勝つ[par]から来ている、と言っている。

イーダリル - Ydalir -

北欧神話(Norse mythology )

古エッダ『グリームニルの歌』に登場する。アースガルドにある、ウルの館。その名称は「イチイの谷」という意味。その名の通り、イチイの木が生い茂る深い谷間に建っている。狩猟の神であるウルらしいといえるだろう。

インフェルノ - Inferno -

イタリア語で、「地獄」の意味。
ヴァゴン - Vagon -

ケルト神話(Celtic mythology)

キャメロットの近くにある城。150人の円卓の騎士たちが聖杯を求めて諸国に散る前に、最後の晩をともに過ごした場所でもある。
このうちたった3人のみが高い徳を備えており、カルボネック城にて探求の目的を遂げることができた。

ヴァナヘイム - Vanaheim -

北欧神話(Norse mythology )

北欧神話において、ヴァン神族の住む世界。

ヴァラスキャルヴ

北欧神話(Norse mythology )

アースガルドにある、オーディンの館。

ヴァルハラ - Valhalla -

北欧神話(Norse mythology )

ここに運ばれてきた戦士は、来るべきラグナロクに備え、日夜死闘を繰り返す。そして、たとえ死亡したとしても次の日には生き返っている。

ヴィーグリーズ - Vigrid / Vígríð -

北欧神話(Norse mythology)

ラグナロクが始まると、全ての神々や巨人族達がこの地に集い決戦する。
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運命の時ラグナレクにおける宿命的な決戦場。その広さは100ラスタ四方、 或いは400〜500マイル四方 と伝えられる。
伝承を整合的に理解すれば、ヴィーグリーズの野とはオースコープニル島内の地名と云うことになる。
ムスペルに住む炎の巨人達は虹の架け橋ビフレストを渡ってこの地に進軍しようとするのだが、橋は彼らを支え切れずに崩落してしまう。だが、それでもムスペル勢の進撃は止まらず、敢えて河を渡ってやってくる。
怪狼フェンリルは縛を離れ、イェルムンガンドルもこれに呼応して怒濤と共にこの地に押し寄せてくる。アース神達の積年の宿敵である霜の巨人達も、この時の津波で進水を果たした巨船ナグルファルに総員乗り込み、フリュムに率いられてやってくる。ロキもまた冥府ヘルの住人達を引き連れて、巨人陣営に姿を現す。
アース神の側も、オーディンを先頭に、トールが轡を並べ、以下続々と馬を進めてくる。先陣の二者の他、フレイ、チュール、ヘイムダルと云った面々が、この地で展開する凄絶な大乱戦の華と散ることになる。

ウォルシャカ

ペルシャ神話(Persian mythology)

古代のイラン人が、大地の果ての外にあると信じていた海の名前。

瓜生島 - うりゅうじま -

日本の伝説(Japanese legend,folklore)

過去、大分県別府湾にあり、江戸時代に一日にして海中に没したと伝えられている伝説の島。
『豊府聞書』などにかかれた伝説や昔話では、瓜生島は大分市の沖400〜500mの別府湾内にあり、周囲約12kmで、人口5000人ほどの島だったという。
現在大分市住吉町にある住吉神社は、もとは瓜生島にあったものを移してきたものとされている。

[ 昔話の中の瓜生島 ]
 昔、別府湾に瓜生島という島があった。
 島には蛭子社で木彫りのエビス様を祀っており、『エビス様が怒って顔が真っ赤になると島が沈む』という言い伝えがあった。だから島の人々は信心深くし、エビス様を丁重に祀って暮らしていた。
 ある時、ある若者がイタズラをして、エビス様の顔を真っ赤に塗ってしまう。
 赤くなったエビス様の顔を見た人々は皆、大急ぎで船で島から逃げ出した。
 エビス様の顔を塗った当人の若者は島にいて、慌てて逃げる人々を笑いとばしていたが、そのとき島がぐらぐらと揺れはじめ、大きな津波が島を飲み込んだ。
 島の人々は助かったが、瓜生島は跡形もなく海に沈んでしまったということだ。
 他に白馬に乗った老人が「島が沈むから逃げろ」と急を告げる形式もある。

[ 実在の瓜生島 ]
 瓜生島に関する最初の記述をしたのは1699年に戸倉貞則が著したとされる『豊府聞書』であったとされるが現存せず、その写本もしくは異本とされている『豊府紀聞』(全7巻)が日本最古の現存する”瓜生島”の沈没に関する文献となっている。これ以前の古文書には”瓜生島”という記述は見られず、瓜生島の条件に該当する地は全て”沖の浜”と書かれていることから、”瓜生島”という名称を用いたのはこの書が最古ということになる。
 以後『豊府聞書』と『豊府紀聞』などをもとに、”瓜生島”の沈島伝説が語られることとなった。
 しかし実際のところ伝説には尾ひれが付きがちであり、古地図には瓜生島や他の島々が書き足されたものが、ある時期から突然現れている。
 それらの国内資料や国外資料、加えて近年の地質学などの調査研究により、瓜生島が沈んだとされる地震や津波が起こったのは、1596年9月4日(文禄5年(慶長1年)閏7月9日で紛れもない事実だと解っている。
 震源地は、別府湾南東部でマグニチュード7.0程度の地震が起こったのではないかということだ。潤7月3日〜11日にかけて、微震などは続いたらしい。
 別府湾の海底には複数の正断層がほぼ東西に走っており、おそらくこの正断層の活動が、直下型の地震を引き起こしたのではないかと考えられている。
 地震により起こった津波で別府湾岸には大きな被害があり、各地で崖崩れなどがあったとのことだ。津波の被害を受けた場所の中に、瓜生島だったのではないかといわれる”沖の浜”の地名(村名)が見える。
 地震が起こりそれを原因とした津波が、ある場所とそこに住む人々を飲み込んだのは歴史的事実だが、問題は瓜生島が島として存在し、そして本当に海中に沈んだのかどうかだ。
 『豊府紀聞』と同じ、もしくはそれ以上に歴史的資料として信憑性が高いとされている瓜生島に関する記述は、ポルトガルの宣教師であるルイス・フロイスが、イエズス会への報告として送った書簡のうちのひとつで、『日本において1596年に起こったいくつかの奇跡の概説』としてまとめられた物の中に残っている。
 それは『豊後の国について』と題されており、地震の際”オキノファマ”などに約4mの津波が押し寄せ、海岸から約2kmに渡って浸水の被害を受けたと書かれている。フロイスは1563年に来日した後日本で暮らし、1597年に長崎で没しており、地震の100年後に書かれた『豊府聞書』などよりは信憑性が高い。
 ”オキノファマ”を襲った災害で生き残ったのは唯一人のクリスチャンだけだったとフロイスは続けており、宗教的な誇張があるにせよ、”沖の浜”は被害の中心であったのだろう。
 沖の浜は、実在した地名で多くの書に記述が残っている。
 例えば1555年、中国の明の使節、鄭瞬功が台風のため豊後に漂着した。彼は3年後帰国し日本での見聞録を綴った『日本一鑑桴海図経』を著したが、その中で彼は、最初に入港したのは”澳浜”であると書き、府内(現大分市)沿岸は遠浅で船が停泊できなかったと書いている。
 またスペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルが大友の館を訪ねる時、一度”沖の浜”に停泊し、それから小舟で川をさかのぼり館に入ったとされている。ちなみに一代後のキリシタン大名として有名な大友宗麟は、1578年49歳の時にキリシタン嫌いの婦人と別れ、洗礼を受けている。
 またフロイスと同時代頃の『ポルトガル船アジア諸国航海路程記集』の中に、府内沿岸の海底は白砂であり、”アキナファマ”という錨地に接続していると書かれていたようだ。
 またフロイスも、府内の近くに3哩(3〜5km)離れた”オキノファマ”と呼ばれる大きな村があり、多くの船の寄港地であり揚陸地だと書いている。
 伝説中で瓜生島は漁師町だったとされていることが多く、かなり栄えた港だともされているので、やはり”瓜生島”は”沖の浜”と同じ場所を指していると考えるのが妥当だ。
 ではなぜ『豊府聞書』などは”沖の浜”という名を使わずに、”瓜生島”としたのだろうか。
 瓜生島という地名は、1223年初代豊後国司大友能直が編纂したといわれる『うえつふみ』の中に、ウリウハマ、ウルノオハマ、ウリフノトと現れている。それぞれ字を当てると、潤浜、潤のお浜、潤の戸と解釈できる。
 つまりウリウジマというのは瓜の生える島を表すのではなく、もともと潤島という意味の土地名、ともすれば地形名で、潮が満ちてくれば小さな島となるが、潮が引けば大きな砂浜を広げ砂州で陸地と繋がるような土地だったのではないだろうか。
 それならば、沖にある浜を示す”沖の浜”と”瓜生島”のふたつの呼び名は、全くの同義なのだ。
 東海大学瓜生島調査会はその科学的な調査結果に基づき、「大分川河口付近に大部分が砂質土で構成される島が存在し、地震が原因で島のある部分は液状化により全面海域に流失し、他の部分は地滑りなど大規模な陥没を生じ水没した」との仮説を立てている。

ウルズの泉 - Urdarbrunnr (Urd's well)/Urðarbrunnr -

北欧神話(Norse mythology)

世界樹ユグドラシルの根は九方に分かれ、 根元に3つの泉を持つ。これはその内、アースガルズに向かう1本の根の直下にある泉である。
ノルニル三姉妹がヨツンヘイムからこの地にやって来た時、イザヴェルの地に花開いた神々の黄金時代は終焉を迎えた。
この泉の名は、三姉妹の長女ウルズの名を冠したものである。泉水には強力な浄化作用があり、その為、泉底の泥までもが真っ白である。 あの美しい白鳥もここから生まれた。
この水と泥が三姉妹によって日々ユグドラシルに注がれる。このお陰で、4頭の牡鹿やニーズヘッグ等の食害があるにも関わらず、ユグドラシルの樹勢は保たれている。
この泉の傍らには、三姉妹の美しい館や神々の法廷がある。この法廷に、アース神達はビフレストを渡って毎日のように集い来る。但し、トールは徒歩なので炎を上げる虹の橋を渡れず、川を渡ってやってくる。
ここにはまた賢者の椅子があり、ロッドファーヴニルはそこで人々に語られる話に耳を傾け、ルーネの知識や箴言を仕入れて帰った。

エ・サギラ

オリエント神話(Near Eastern mythology)

バビロンにおけるマルドゥクの神殿(聖域)のこと。エ・テメン・アン・キ(天と地の家の意)という名のジグラットを持つ。この塔は別名の「バべルの塔」の方が有名である。

エデン - Eden -

元はシュメル・アッカド語の「平地」を意味し、「創世記」では、神が「エデンの東の方に園を設けて」云々と記されている。それが後の世に、エデンは楽園という誤解が生じていく。故に、エデン=楽園は、厳密に言うと間違いである。
エリュシオン - ΗΛΥΣΙΟΝ,Elysion,Elysium -

ギリシア神話(Greek&Roman mythology)

エリュシオンの野,エリュシオン・ペディオン(〜 ΠΕΔΙΟΝ,pedion)。ギリシア神話の楽園。神々の寵愛を受けた者が死後に行く場所で,世界の果てにあり,雪は降らず,嵐も雨もなく,ここの住人は,暖かな西風(ゼピュロス)に抱かれて永遠に平和に暮らすことができる,とホメロスは英雄叙事詩『オデュッセイア』に歌っている。紀元前1世紀,古代ローマの詩人プブリウス・ウェルギリウス・マロは少し違った見方をしていて,ホメロスの詩ではエリュシオンの野が世界の果て,つまり,地上に存在するとされているのが,ウェルギリウスの作品では地底にある冥界の一領域に置かれていたらしい。

オズ - Oz -

アメリカの作家L.F.バウム(1856-1919)の児童物語『オズの魔法使い(1900)』などの舞台となった魔法の国。
淤能碁呂島 - おのごろじま -

日本神話。ある時、イザナギが高天原にある天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛(あめのぬぼこ)を混沌と流れる下界へと突き刺した時に生まれた島である。イザナギとイザナミは、そこに突き刺さった矛を伝って、地上に降り立った。そしてそこに天御柱(あめのみはしら)を建て、次々と島や神々を生み出して行く。
オリュンポス山 - ΟΛΥΜΠΟΣ,Olympos,Olympus -

ギリシア神話(Greek&Roman mythology)

現代ギリシアの発音ではオリンボス。ギリシア共和国北東部,マケドニア地方南部にそびえ,標高は2,917メートルに達するギリシアの最高峰。
古代ギリシア人は,雲に覆われて姿を現すことのなかったこのオリュンポス山の山頂に,神々の居住する場所があると信じ畏れていた。多くの神々のうちでも,ゼウスの家族を中心に12の神で構成されるオリュンポスの十二神というのは,ゼウス,ヘラ,アテナ,アルテミス,アプロディテ,ヘスティア,アポロン,ヘルメス,アレス,ヘパイストスの10の神に,デメテル,ポセイドンが加わった12の神からなり,ギリシア神話の重要な神々である。また,ディオニュソスがヘスティアに取って代わることもある。

カーマロカ - Kamalola -

キリスト教の神話伝説(Christian Legends)

キリスト教における煉獄。ギリシアの地獄にも相当し、亡くなったばかりの魂の浄化が行なわれる場所。

カルパ=タルー - Kalpa-Tarou -

欲しいものがなんでも実になるという、古代インドの伝説の樹木。
カールレオン - Caerleon - (別名、カーリオン)

ケルト神話(Celtic mythology)

ウェールズのアスク川沿岸にある城塞都市。町を守るのは城壁の上に200ヤードおきにそびえるいくつもの大きな塔と、4つの堅固な城門である。城壁の内側には、城を中心に、混雑した街路や小さい砦や教会などが密集している。この城の一風変わった見ものは、魔術師マーリンが使っていた部屋へ通じる208段の階段である。

キャメロットのアーサー王の宮廷は定期的にカールレオンに置かれたが、これは、アーサーの領内でも最も行き来しやすい場所の一つだったためであろう。

アーサーがベドグレインの合戦に備えて軍勢を集結させたのもここ、その戦勝を祝ったのもここ。

ギンヌガ

北欧神話(Norse mythology )

北欧神話の創世。天も地も海もない世界でただ一つ、ギンヌガという淵(裂目)があった。南にあるムスペルヘイムからは、絶えず灼熱の風が吹き北にあるニブルヘイムの氷を溶かしていた。その水が谷へ落ち、北からの風に凍る。そうした事が何万年も続き、やがて「ユミル」という生命の祖が生まれた。

ゲヘナ - Gehenna -

ユダヤ教における地獄。エルサレムの近くにある焼却場が元。バールとモレクの生け贄が捧げられた。
崑崙 - こんろん -

中国神話(Chinese mythology)

西方にそびえる霊山。現在ある崑崙山脈とは無関係。

三界 - さんがい -

仏教で想定されたこの世界の構造。従って、厳密には三界は地名ではなく世界の分類法なのだが、内実は具体的空間の概念となっている。

悟りを開くことができなければ、永遠にこの三界の中に生まれ変わり続ける(「輪廻(りんね)」と言う)とされたので、この絶望から逃れる為に様々な解脱法が考案された。

三界六道一覧表
三界 六道 (住処) (小目) (細目) (読み)
むしきかい
無色界
(非処) 非想非非想処ひそうひひそうしょ
無所有処むしょうしょ
識無辺処しきむへんしょ
空無辺処くうむへんしょ
しきかい
色界
くうご
空居
しぜんてん
四禅天
色究竟天しきくきょうてん
善見天ぜんけんてん
善現天ぜんげんてん
無熱天むねつてん
無煩天むぼんてん
広果天こうがてん
福生天ふくしょうてん
無雲天むうんてん
さんぜんてん
三禅天
遍浄天へんじょうてん
無量浄天むりょうじょうてん
少浄天しょうじょうてん
にぜんてん
二禅天
極光浄天ごくこうじょうてん
無量光天むりょうこうてん
少光天しょうこうてん
しょぜんてん
初禅天
大梵天だいぼんてん
梵輔天ぼんぽてん
梵衆天ぼんしゅてん
よくかい
欲界
ろくよくてん
六欲天
他化自在天たけじざいてん
楽変化天らくへんげてん
覩史多天としたてん
夜摩天やまてん
じご
地居
三十三天さんじゅうさんてん
四天王天してんのうてん

修羅
畜生
餓鬼
(各処) しだいしゅう
四大洲
倶廬洲くるしゅう
牛貨洲ごかしゅう
勝身洲しょうしんしゅう
贍部洲せんぶしゅう
地獄 (地下) 八大地獄 等活地獄とうかつじごく
黒縄地獄こくじょうじごく
衆合地獄しゅうごうじごく
叫喚地獄きょうかんじごく
大叫喚地獄だいきょうかんじごく
焦熱地獄しょうねつじごく
大焦熱地獄だいしょうねつじごく
無間地獄むけんじごく

六道は六趣とも言う。また、修羅道の独立を認めずに五つしか数えない場合もある。

この世界観は道教の「三十六天説」に取り込まれるが、その場合三界は「二十八天」と数えられる。また、欲界に人間界以下は含まれない。三十六天説は「天界」の構造を記述したものだからである。

シバルバー - Xibalba -

マヤ人達が信じた冥界。『ポポル・ヴフ』の中で、フンアフプーとイシュバランケーは殺害された父(フン・フンアフプー)の復讐の為に、この地を訪れシバルバー人達を打ち倒している。
ジャハナム - Djahannam,Jahannam -

「ジャハンナム」とも。イスラム教における地獄であり、「ゲヘナ」と同様、「ヒンノムの谷」を語源とする。悪人や不信者は、浄化を受けるために、この場所に一時的にとどまり、火の罰を受ける。ジャハナムは、公正ではあるが恐ろしい天使マリクによって監視されている。
浄土 - じょうど -

仏教説話(Buddhism)

菩薩は成仏を目指して修行する。その修行の成果は、彼が仏に成った時に住むことになる新世界=「仏国土」に反映される。 この「仏国土」こそ「浄土」に他ならないと一般に理解されているが、実は「浄土」と云う観念は中国で形成されたものなのである。インドでは「仏国土」は想像されたが、これは「浄土」ではない。仏国土を「pure land」と捉えたのは中国人の願望だったのである。
従って、大雑把に言えば「浄土」に関する信仰は漢訳仏典の世界にのみ存在するものである。しかし、ここでは「浄土」に関する言説を扱うので、受容した側の心性に合わせて「仏国土=浄土」と前提して話を進めることとする。

さて、最も有名な浄土は阿弥陀仏の西方極楽世界である。
極楽世界は阿弥陀仏の本願によって創造された。大地も街路樹も何から何まで宝石でできていて、全てが金ピカに輝いている豪壮な世界である。
この極楽の起源については、アフラ・マズダーやアメンテやエデンの園やエリューシオンやヴァルナやヴィシュヌやヤマや転輪聖王や北倶盧州や他化自在天や梵天や仏塔や…に結び付けて諸説紛々だが、定説は無い。
さて、極楽が余りに有名になったので、後から造られた浄土創造の神話は何某かの形で極楽を引き合いに出さざるを得なくなった。
例えば薬師如来の東方浄琉璃世界は極楽と全く同じ作品である。
それどころか文殊菩薩は、大海と水滴の差くらいに極楽よりも優れた浄土を建設する。
果ては部下であるはずの観音菩薩までが弥陀を乗り越え、極楽の更に百億万倍優れた浄土を建設すると云う神話まで現れる。
ライバル阿シュク如来の東方妙喜世界には極楽世界との比較は無い。しかし同じ理想の世界に大した違いができる訳が無く、多くの類似点が、特に初期の極楽浄土との間に見受けられる。
但し、釈迦如来がこの娑婆世界そのものを浄土とした ように、浄土は三界の外とは限らない。
例えば、文殊菩薩の浄土をこの娑婆世界の東北方の山中とする有名な神話 がある。山西省の五台山がその文殊菩薩の住処と考えられて霊場となっている。 また、東北方の親近感からか、清朝は「満洲」の語源を「曼殊」とした。 「曼殊」とは、勿論「文殊」と同じ原語の音写である。
また、観音菩薩の浄土は、前述の神話よりもむしろ補陀落山とする神話 の方が有名だが、観音の人気を反映して各地に誘致されている。詳しくは「観音菩薩」を参照のこと。
尚、弥勒菩薩の浄土は兜率天内院とされる が、どうも成仏候補者の共通控え室のようであり、他の仏達の浄土とは趣きが違うようである。

スヴァルトアールヴヘイム

北欧神話(Norse mythology )

北欧神話において、暗黒の妖精の住む世界。

スメール - sumeru -

インド神話(Hindu mythology) / 仏教説話(Buddhism)

須弥山。ヒンドゥー神話における、世界の中心をなす山。あらゆる神々が住まう。
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俗に流布するところでは、サンスクリット語「スメール」の意味を映した漢訳語が「妙高」だと言われる。 一方、音を写した漢訳語が「須弥山」である。
ヒンドゥー教では、「ブラフマー神の卵の殻」の中に宇宙を構想する。ここに同心円状に連なる七つの大陸があり、その中心の円形の大陸がジャンブードヴィーパ、即ち「贍部洲(せんぶしゅう)」である。このジャンブードヴィーパの中心に聳え立つ山がメール山である。
この黄金の山メールは、標高が8万4千ヨージャナ、頂上の直径が3万2千ヨージャナ、基部の直径が1万6千ヨージャナとなっており、コップを立てたような山容である。尚、底面は円形ではなく多角形であるとする説もある。基底部には、東にマンダラ山、南にガンダマーダナ山、西にヴィプラ山、北にスパールシヴァ山、の各山が支柱のように寄り添っている。
メール山の頂上にはブラフマー神の巨都があり、ローカパーラの各都市がこれを囲繞している。即ち、東にインドラ、南東にヴィヴァスヴァト、南にヤマ、南西にソーマ、西にヴァルナ、北西にアグニ、北にクベーラ、北東にヴァーユ、の各都市が位置している。つまり、9つもの神々のメガロポリスがこの山頂に収まっているのである。

仏教に取り込まれても、やはり須弥山は世界の中心であり、標高8万ヨージャナの威容を誇る最高峰である。火の玉である太陽、水の玉である月、そして星々、これらがこの山の周りを巡る風の流れに乗って周回し続けている。
山容は8万×8万×8万ヨージャナの正立方体であり、カンボジアのアンコールワット寺院や仏壇の台座の須弥壇はこれを写した模型である。山体の側面はそれぞれ、北が黄金、東が白銀、南が青い瑠璃、西が赤い水晶でできている。
山の南側に太陽がある時、我々の世界とされる贍部洲は正午であり、西側の牛貨洲は日の出を仰ぎ、北側の倶廬洲は真夜中で、東側の勝身洲は日没を見送っている。
山頂には帝釈天とそれに随う四天王及びその配下が依拠している。
また、37柱のナッもこの須弥山の山頂を中心に展開しているものと思しい。
ところで、須弥山がいくら高いと言っても所詮は大地の一部である。この為、この山に存在する四天王天及び三十三天の地と住民を指して、特に「地居(じご:「大地に住まう」の意)天」と言う。天人の圧倒的多数は空中に住んでいるからである。

スリュムヘイム - Srymheimr -

北欧神話(Norse mythology)

古エッダ『グリームニルの歌』、スノリのエッダに登場する。山奥にある、スィアチの館。ニョルズは、その館に住むスカジに求婚するが、海に住むニョルズと山に住むスカジでは意見が合わず、それぞれの館に交代で住むことになった。しかし、無理は続かず二人は破局した。

セスルームニル - Sessrumnir -

北欧神話(Norse mythology)

スノリのエッダに登場する。フォールクヴァングにある、フレイヤの館。天、アースガルドにあったと考えられる。広く美しい館で、オーディンと分け合った死者を招くという。
彼女はこの館から、2匹の猫が曳く戦車に乗って戦場に出かけたという。

戦場ヶ原・神戦物語 - せんじょうがはら -

日本の伝説(Japanese legend,folklore)

昔々、下野の国(現在の栃木県)・日光にある中禅寺湖をめぐって、日光・男体山の神である大蛇と、上野の国(現在の群馬県)・赤城山の神である大ムカデが戦いを繰り返していた。最初は大ムカデが有利で、大蛇は連戦連敗。その時、常陸の国(現在の茨城県)の鹿島大明神が大蛇に、「奥州(現在の東北地方)に住む弓の名人・小野猿丸に助けを求めよ」とアドバイス。これを聞いた大蛇は、早速決戦に備えて猿丸を招く。猿丸は大蛇を助けて、見事大ムカデの左眼を射抜き、大蛇に勝利をもたらした。そして、大蛇と大ムカデが戦ったところを「戦場ヶ原」と呼ばれるようになった。

高天原 - たかまがはら -

天津神々のすむ天上界。天香具山で祭祀が行われ、神々は稲田をつくり、機織女たちは織殿に奉仕している。
最高支配者は言わずとしれた三貴子の一人天照大御神と、重鎮高御産巣日の二神で、玉座である天の磐座に座している。「高天原」が天上にあるという考えは本居宣長が広めたと言われている。

ティル・ナ・ノーグ

ケルト神話(Celtic mythology)

海の果てにある妖精の国。そこの王はマナナーン・マクリール。

常世国 - tokoyonokuni -

日本神話(Japanese mythology)

大国主命(おおくにぬしのみこと)と共に国づくりをし終えた少彦名神(すくなひこなのかみ)が帰った地、ミケヌ(御毛沼命)が渡った地、『日本書紀』「丹後国風土記」逸文において浦島子(参照・浦島太郎(うらしまたろう )) が訪れた国として上代文学中にあらわれる。
概して、「故、御毛沼命は、波の穂を跳みて常世国に渡り坐し」(『古事記』上巻)とあるように"海の彼方の世界"として書かれる。
少彦名神(すくなひこなのかみ)は、『丹後国風土記』逸文において、「少日子命、粟を蒔きたまひしに、秀実りて離々りき。即ち、粟に載りて、常世の国に弾かれ渡りましき。故、粟嶋と云ふ。」と書かれる。

豊葦原中国 - とよあしはらなかつくに -

日本神話。高天原と、黄泉の国の間にある人間が住む世界。四方を高い葦で囲まれた世界であると考えられていた。
ドリームタイム

オリエント神話(Near Eastern mythology)

アボリジニが考えるもう一つの世界。眠っているときは夢の世界で暮らす。この世界では生物も無生物も精霊として暮らしていて、死ぬことがない。もっとも偉大なのが虹蛇 。

トリリャン=トラパリャン - Tlillan-Tlapallan -

アステカ神話(Aztec mythology)

アステカ人が考えた、三つの楽園の一つ。「黒と赤の国」。黒と赤の関係は、知恵を表している。ケツァルコアトルの教えを忠実に守る者達が住んでいるという。

ニブルヘイム - Niflheim -

北欧神話(Norse mythology )

北欧神話において、死と氷に覆われた世界。

ニダヴェリール

北欧神話(Norse mythology )

北欧神話において、小人の国。

ニライ・カナイ - niraikanai -

日本の伝説(Japanese legend,folklore)

ニライ・カナイ(ニライカナイは儀礼用語である。伝承ではただニライと呼ばれる。以下ニライで統一)は、ニルヤ、ネリヤ、ニロー、ネヤともよばれることがある。文献によっては儀来・河内と表記される。ニライは沖縄において海の彼方にあると考えられていた他界。この点において記紀神話における常世国、『延喜式』中の祝詞「六月の晦の大祓」における「根国(ねのくに) ・底の国」と共通する他界観。
ニライの名称については諸説ある。外間守善は、「根になるところ」の意であるとしている。柳田國男は「ニーラ」と言う語は「遠く遥かな」の意であるとし、「遠く遥かな所」の意であるとしている。(ニライは常世国と良く似ている)また、柳田は根国(ねのくに) の語源はこの「ニーラ」からきており、記録する段階で「根」の字を当てたために、根国(ねのくに) が地下の国であるような印象を与えたのだとしている。
外間守善の説はニライの機能に重点を置いたものであり、柳田國男の説はニライの場所に重点を置いたものであり、ふたつの説は矛盾するものではない。
ニライは、神の世界・あの世としての機能がある。神や祖先は時を定めてニライから訪れる。(盆には海の彼方から祖先が帰ってくるとする地方もある。)これを証明するように沖縄では、海の彼方を遥拝するための御嶽(ウタキ)が岬や海辺に設けられている。神の中には少彦名神(すくなひこなのかみ)のような穀霊も含まれる。稲を初めとして五穀はニライからもたらされたからである。南島歌謡のなかには「稲の種子は、鶴が脇にをはさんでニライから持ってきたのだ。」とする歌があり、琉球開闢神話のなかには、アマミクと言う神が鷲をニライに使わして稲を求めさせたとある。奄美大島では「平瀬マンカイ」と言う行事がある。それは、穀霊をニライから招き寄せて豊作を祈るというものである。
 稲の他に火もまたニライからもたらされている。『琉球神道記』巻五には、「時に国に火なし竜宮より是を求めて国を成就し・・」とある。ここでの竜宮とはニライのことである。子供もニライからもたらされるとする地方もある。
 今までとは反対に害をなす鼠・害虫が追いやられるのもニライである。これは害虫もまたニライの出身であり、それをニライへ送り返すと言う意味が含まれている。「宇根真謝作物の為浜下之時宇根祝女火之神前御たかへ言」には「日の神の子である鼠が農作物に危害を加えるのでニライカナイに放逐して押し込めて・・」とある。
 この二点は前者は穀霊スクナヒコナの故郷である「常世国」に、後者は穢れが送られる『延喜式』中の祝詞「六月の晦の大祓」における「根国(ねのくに)・底の国」と似ている。民俗行事の中にも他界の名ははっきりしていないが、幸福を外部より招き、穢れを外部へ押し出すと言う行事が多々見られる。伝承を見て行くと、外間守善の説の通り、ニライは全ての根源。
 ニライの位置については、先に挙げた「宇根真謝作物の為浜下之時宇根祝女火之神前御たかへ言」に「干瀬の外 なみの外」とある事から、柳田説の通り、遠いと言うことがわかる。(干瀬とは、珊瑚礁のことであり、それを超えるということは生活圏を超えるということ。)

根の国 - ねのくに -

日本神話(Japanese mythology)

根の国は『古事記』においては「根の堅州国」、『日本書紀』では「根国」、「六月晦の大祓」「道饗祭」の祝詞には「根の国底の国」とある。ここでは、引用や特別な場合を除いて「根の国」と表記する。

根の国は現世との接点である黄泉平坂を黄泉と共有している物の、黄泉の国の様なくらいイメージは神話の中から見て取れない。オオナムチの根の国訪問譚では、現世と同様の生活が行われている世界である。根の国は『日本書紀』では、下方、遠方にあるように表現されている。しかし、「六月晦の大祓」では海の彼方・海の底にある国とされている。倉野憲司は、『古事記全注釈』において「地下(又は海底)にある・・・」とし、西郷信綱は『古事記注釈』において「地下にある・・・」としている。柳田國男は、根の国の「ネ」と琉球弧に広がる他界信仰であるニライの「ニーラ」は同一であり「遥かな」の意であるとしている。また、根の国とニライを根本同一の海上の故郷であるとしている。柳田國男のこの考えは、『日本書紀』のイメージと共通する。柳田國男は「ニーラ」という「遥か」を意味する語に、「根」の字を当てたために他界観が変化したとしているが、そのことだけで変化するかどうか、という疑問が残る。
次田真幸は、『記紀』において根の国の観念は水平表象から垂直表象に変化した物ではないか、としている。すなわち、『記紀』における天皇神話成立の過程において天皇の故郷の高天原を天とした時点で、水平が垂直立体構造となり、高天原ー中津国ー根の国・黄泉という構造が成立したのではないか、としている。これに良くにた例は沖縄においてみられ、オボツ・カグラという天上世界は、聖所や神の座を意味する語であったが、王権強化や絶対化を理由に天上世界に押し上げられた。根の国にはこの逆が行われたのではなかったか。天皇家の権威を絶対化するために高天原を天上世界にした。それに伴って、水平方向にあった他界は垂直方向へと変化する。これによって根の国は地下に落とされることになる。これによって、地下に落とされた根の国は黄泉と重なってゆくことになる。(黄泉が地下世界ではないにしろ、両者は高天原に対立する方向になると考えられる。)「六月晦の大祓」等に残されたイメージは水平方向であった時の名残りかとも思われる。
それでは、具体的に根の国とはどのような世界であったか。「六月晦の大祓」などでは、罪穢れを根の国に押し流していることや、「道饗祭」では悪霊邪鬼の根源地とされる。また、オオクニヌシは根の国を訪問し、王権の根拠となる呪具を持ち帰っている。このことからは豊穣や富の源泉としての性格も伺うことができる。また、『古事記』においてスサノオは「妣の国」と呼ぶ。ここからは祖霊のすむ地としての性格も伺える。上田正昭は悪霊邪鬼が根の国を根源としていることについて、北方系シャーマニズムが天を神の住処、下界を悪霊死霊の住処としていることの関係を指摘している。しかし、北方系シャーマニズムの影響と考えると、「六月晦の大祓」にみられる水平方向的な部分との矛盾が生じる。先に述べたように、根の国の観念は水平方向から垂直方向に変化したものである。悪霊等の住処とされたのは変化以後であるというのは考えにくい。「六月晦の大祓」や民俗行事の中に在る穢れや害虫を海の彼方や村はずれへと送る理由が不明瞭となるからである。根の国は垂直方向世界観が成立する以前から負の根源としての性格をもっていたのではなかろうか。柳田國男が「ニライ」との関係を指摘したことは先に述べたが、「ニライ」信仰にも害虫もまたニライの出身であり、それをニライへ送り返すと言う意味が含まれている。「宇根真謝作物の為浜下之時宇根祝女火之神前御たかへ言」には「日の神の子である鼠が農作物に危害を加えるのでニライカナイに放逐して押し込めて・・」とある。また、「ニライ」にも神の世界・あの世としての機能がある。神や祖先は時を定めてニライから訪れる。(盆には海の彼方から祖先が帰ってくるとする地方もある。)これを証明するように沖縄では、海の彼方を遥拝するための御嶽(ウタキ)が岬や海辺に設けられている。神の中には穀霊も含まれる。稲を初めとして五穀はニライからもたらされたからである。南島歌謡のなかには「稲の種子は、鶴が脇にをはさんでニライから持ってきたのだ。」とする歌があり、琉球開闢神話のなかには、アマミクと言う神が鷲をニライに使わして稲を求めさせたとある。奄美大島では「平瀬マンカイ」と言う行事がある。それは、穀霊をニライから招き寄せて豊作を祈るというものである。これらの事例から考えても根の国が正負両方の性格を帯びた世界であった事が予想される。そのために、オオクニヌシの呪法の根源地であり、スサノオが妣の国と呼び、悪霊邪鬼の根源地とされる。
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日本神話における地の国。根国底国(ねのくにそこのくに)あるいは底つ根の国とも呼ばれる。一般に黄泉の国と同一視され、建速須佐之男命が支配している。「古事記」の大国主の訪問神話によると、光あふれる世界であり、現世とあまりかわらないようだ。
「根の国」を様々な罪穢や災厄、疫病の根元地とする見方もあるが、柳田国男は本来は光明の地であり、生命の源泉の地だと考えた。その意味は「根元の地」ということらしい。「根の国」それは、すなわち「魔界」のことなのかもしれない。

ノーアトゥーン - Noatun -

北欧神話(Norse mythology )

古エッダ『グリームニルの歌』、『スリュムの歌』、スノリのエッダに登場する。ニョルズの館。「船着き場」と記述されることから、海の近くに建てられていたのだろう。『グリームニルの歌』には、「正直な人の王が聖所を守る」と記述される。
ニョルズと巨人族のスカジは結婚して、しばらくこの館で結婚していたが、お互いの価値観の違いからホームシックにかかり、彼女は懐かしいスリュムヘイムに戻ってしまった。

パーターラ

インドの神話。ヒンドゥー教の伝承によれば、地下世界は七つの層に分かれている。その最下層にあたるのが、パーターラである。
初めは無人の地だったが、カシュヤパ聖仙と、その妻カドルーがこの地を訪れ、ナーガ族を呼び寄せた。以後、パーターラは「ナーガ達の棲む所」という意味の、「ナーガローガ」と呼ばれるようになった。
また、パーターラは輝く宝石で覆われており、地下の世界でありながら絢爛たる美しさだという。

バビロン - Babylon -

オリエント神話(Near Eastern mythology)
ユダヤ・キリスト教(Jewish&Christian mythology)

メソポタミアの古代の中心的な都市。マルドゥーク神を崇拝し、バベルの塔として有名な、巨大なジッグラッド(神殿)を築いた。また、世界7不思議の一つである「空中庭園」が建設され壮麗な景観を誇っていたと推測される。
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大淫婦バビロン。
ヨハネの黙示禄に出てくる邪悪な都で“悪魔の住むところ”“汚れた霊の巣窟”、“地の王たちを支配する大いなる都”とも呼ばれる。女性の姿として表現され、紫と赤の衣をまとい、多くの宝石で身を飾り、手には姦淫の汚れで満ちた金の杯を持ち、神を汚す多くの名でおおわれた七つの頭と十本の角をもつ赤い獣にまたがっている。大いなる繁栄を享受し、諸国の王と手を結び比類ない権威を得るが、最終的に神の裁きの炎を受けて焼き払われる。
「七つの頭とは、この女が座っている七つの丘のことである」とあるように、女の正体は七つの丘の上に建設されたローマ帝国の暗喩と考えられる。(ローマの建設地は、長期にわたる凝灰岩の侵食によって凹凸状態になっている。北にクイリナリスとウィミナリス、中央にカピトリウムとエスクイリヌス、カピトリウムの南東にパラティウム、南にアウェンティヌスおよびカエリウス。以上、七丘である) 黙示禄には、七つの頭には七人の王がおり、五人はすでに倒れたが、一人は今王の位についており、他の一人はまだ現れていないが、この王が現れても位にとどまるのはごく短い期間だけである、とある。七人の王とはローマの七人の皇帝(ユリウス・カエサル、アウグストゥス・カエサル、テベリウス・カエサル、ガイウス・カエサル、クラウディウス・カエサル、ネロ・カエサル、ガルバ・カエサル)を指すと考えて間違いなく、ガルバ・カエサルの在位期間がわずか7ヶ月だったこともこれを裏付けている。
また、“以前いて、今はいない獣は、第八の者で、またそれは先の七人の中の一人なのだが、やがて滅びる”とあり、別の箇所には、獣の頭の一つが、死ぬほど傷を負ったが、その致命的な傷も癒えてしまったため、人々は驚き恐れ獣に従ったとあるが、ともにネロ・カエサルの再臨を暗に示していると思われる。ネロは死の間際にパルティアに亡命することを望んでいたため、彼の死後もユダヤ人の間では、反キリストはネロの姿で現れ、軍隊を率いて襲ってくるとの俗信が普及していたのだ。実際、ヘブライ語の文字綴りのネロ帝のフルネーム(NRWN QSR)を数字に換算し、合計すると666になる。(N=50,R=200,W=6,N=50,Q=100,S=60,R=200)

パプットとルルサックの人類始祖神話

台湾神話(Taiwanese mythology)

太古の昔、パプットという山に大きな岩があった。ある時、天地も覆るばかりの大音響が轟いた。すると岩が割れて中から一人の神人が現れた。
間もなく高波が起こって、大波の一つがルルサックという所に生い茂っていた竹やぶに打ち寄せると、大竹が割れて一人の神人が生まれた。
この二人の神人は共に単独で生まれた男で、互いに親しく往来していた。ところがある日、何気なく枕を並べて寝ていると、二人の膝頭が擦れ合った。
すると、一人の右膝から男の子が生まれ、もう一人の左膝から女の子が生まれた。この男女が人類の始祖である。

これはヤミ族イマウルツル社に伝わる伝承である。

バベルの塔 - The Tower of Babel -

キリスト教の神話伝説(Christian Legends)
オリエント神話(Near Eastern mythology)

キリスト教の伝説によれば、ノアの洪水の後、ノアの息子の一人であるハムはバビロンの都を築いた。その子孫であるニムロドがバベルの塔を築いたと言われている。聖書には、創世記11章にその記述が僅かに見られるだけである。この部分の詳細は、ニムロドの項目を参照して欲しい。
バベルとはバビロンの事で、新バビロニア帝国はネブカドネザル二世の時代にもっとも栄え、「全ての国の中で最も美しい国」とヘロドトスに評されるほどだった。そして、この時代にバベルの塔は再建されている。
ヘロドトスの記述によれば、バベルの塔は一辺が185メートルの正方形で、高さが185メートルだったという。その最上部は神殿になっており、最高神マルドゥークが降臨する場所だった。

バライサン

台湾神話(Taiwanese mythology)

昔、マチェチェという男がいて、河で漁をしていたが、足を踏み外して河に落ち、激流に呑まれて海に出た。マチェチェはどうする事もできず、波に身を任せていると、見知らぬ小島の近くまでやって来た。岸には多くの人間が集まって、マチェチェを見ながら何やら騒いでいる。マチェチェは、もし人食い人種だったらどうしようかと思ったが、魚に食われるよりはマシだと思い、上陸した。
ところが不思議な事に、この島には男が一人もいなかった。この島はバライサンという、女だけの島(女護島)だった。その為、島の女たちは、マチェチェを自分の夫にしようと、手引き足引きしてマチェチェを美しい宮殿へと連れて行った。
こうしてマチェチェは女だけの島で楽しく暮らしていたが、やがて故郷が懐かしくなって、海岸で物思いに沈んでいた。すると一匹の鯨が現れて、 「お前の哀しみは尤もである。私の背に乗れ。故郷に連れて行ってやる。」
と言ったので、マチェチェは鯨の背に乗って故郷に帰った。
ところが、帰ってみると、ほんの数年の間に山川草木すっかり変わり果て、家には見知らぬ人が住んでいた。マチェチェが詳しく話すと、ようやく思い出した人がいて、それは随分昔の出来事だということがわかった。祖父の時代にマチェチェという者がいて、ある日河へ行って帰ってこなかった。マチェチェの家は今は孫の代で、あの家がそれだと指すのであった。
マチェチェは長い夢を見ているのだと思った。
又、鯨は別れる時に、「五日後に豚五頭、酒五甕、檳榔五房を持って海岸へ行き、私に供えてくれ。これが自分に対する報酬である。」と言ったので、マチェチェは約束通りにした。すると鯨は人々に、造船技術を教えてくれたという。

これはアミ族南勢蕃帰化社の伝承であるが、「異郷で歓待され、帰ってみると長い年月が流れていた」というモチーフは浦島太郎に共通するものであり、「魚の背中に乗って故郷に帰る」というモチーフは、鮭の大助に共通するものである。

ビフレスト - Bifrost -

北欧神話(Norse mythology )

北欧神話。アースガルドとミッドガルドを繋ぐ虹の橋。

ヒミンビョルグ - Himinbjorg-

北欧神話(Norse mythology)

古エッダ『グリームニルの歌』、スノリのエッダに登場する。ヘイムダルの館。天の端にあり、ビフレストから通じる下界を見張っている。ヘイムダルは高殿で心地よく美酒を飲むという。

ピンシバカンの人類始祖神話

 台湾神話(Taiwanese mythology)

太古の昔、一柱の男神と二柱の女神が、国の中で最も高い山の頂きにある、巨大な岩の上に降臨した。すると岩が裂けて広い御殿となった。神々はここをピンシバカン(祖先の地)と名付けて供に住んだ。
ある日、男神が女神たちに、「子孫を造ろう」と言うと、女神たちは微笑んで承諾した。そこで神々は目と目を合わせたが、子孫を造ることが出来ず、次に口と口を合わせたが、これも子孫を造ることが出来なかった。このように試行錯誤していると、一匹の蝿が飛んできて、女神の陰部にとまった。
この時初めて、神々は男の凸と女の凹があるのを知って、「御子生みの術」を会得した。
こうして子供たちが生まれ、人類の始祖となった。
これはタイヤル族屈尺蕃に伝わる伝承である。

フィンコリー

ケルト神話(Celtic mythology)

水の底にある妖精の国。トゥレン三兄弟が、ルーのエリックを成し遂げる途中に訪れる国。

フォールクヴァング - Folkvangr -

北欧神話(Norse mythology)

古エッダ『グリームニルの歌』、スノリのエッダに登場する。フレイヤの館セスルームニルがある場所。天、アースガルドにあったと考えられる。「戦いの野」と呼ばれ、フレイヤはここで戦死者の半分をオーディンと分け合った。

ブノホンの大樹

台湾神話(Taiwanese mythology)

台湾・サゼク族に伝わる伝承で、太古の昔、ブノホンという所に大樹があった。
名前は今に伝わっていないが、根は地底の岩盤に食い込み、枝は青雲に届くほどの大きさで、どういうわけか半面は木質で半面は岩石になっていた。
やがて、この樹から男女二神が生まれ、この二神が結婚して子供を産み、その子供たちが更に結婚して子孫を増やしていった。

フリズスキャルヴ

北欧神話(Norse mythology )

オーディンの玉座。そこからは、世界中が見渡せるという。

蓬莱山 - ほうらいざん -

一説によると、蓬莱山は日本の富士山のことらしい。
ホッドミミル - Hoddmimir -

北欧神話(Norse mythology )

または、ホッドミーミル。古エッダ『ヴァフズルーズニルの歌』、スノリのエッダに登場する。リーヴと、リーヴスラシルは、この森でラグナロクの間、朝露を食物にして生き抜いたという。
「蓄えの水をもたらすもの」「宝を思うもの」という意味。場所は不明だが、ラグナロクでは天界の一部や、ニヴルヘイムが焼き尽くされずにその後の世界にも存在している。

マグ・メルド - Mag Mell -

ケルト神話(Celtic mythology)

西方の海にあると信じられた楽園。「幸せの野」という意味である。ティル・ナ・ノーグとほぼ同じ存在と考えられる。その国を統治するのは、マナナーン・マクリールか、テフラである。

ミクトラン - Mictlan -

アステカ神話(Aztec mythology)

アステカの、ミクトランテクートリが支配する死の国。命を落とした人間の魂は、ここで永遠の安らぎを迎えるという。

ミッドガルド - Midgard -

北欧神話(Norse mythology )

北欧神話において、人間の住む世界。神の住むアースガルドとは、ビフレスト (Bifrost)という、虹の橋で繋がっている。

ミーミルの泉

北欧神話(Norse mythology )

ユグドラシルの根が繋がる泉。この泉の水を飲むと、全ての知識を手に入れる事が出来る。オーディンはこの水を飲むために片目を失ったのだ。泉の名前になった神ミーミルとは、知恵の神である。ヴァン神族との人質交換で、ヴァナヘイムへ送られた。

ムスペルヘイム - Muspell -

 北欧神話において、炎の世界。スルトが王。神々はここから飛んでくる火花のうち、大きいものを太陽と月に。小さいものは夜空にばらまき、星にした。
ムー大陸

 1万年以上前に太平洋に沈んだといわれる空想上の大陸。ハワイ、トンガ、フィジー、イースター島などを含む巨大な大陸で、帝王ラ・ムーが支配し、高度な文明を誇っていたと言う。
ユグドラシル - Yggdrasill -

北欧神話(Norse mythology )

北欧神話において、世界の中心にある樹である。宇宙樹、世界樹という。九つの世界を覆う。ラグナロクで全てが滅んでも、この樹だけは存在し続ける。ユグドラシルとは世界そのものなのだである。

ヨツンヘイム - Jotunheim/Jötunheimr -

北欧神話(Norse mythology)

北欧神話において、巨人の住む国。
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九方に広がる世界樹ユグドラシルの根 の内の1本の元にある国土。この根の下にはミーミルの泉がある。
ギンヌガの口の中央に大地があり、その周囲を環状の海が取り巻いているのだが、ヨツンヘイムは東部に位置する。 因みに中央部の国はその名の通りのミズガルズ である。
「ヨツン」とは「巨人」であり、「ヘイム」とは「国」の意である。ここの住民である霜の巨人達は、原人ユミルから生まれ出た古い由緒があるのだが、ユミルがアース神に殺された時の大量の出血による洪水 でベルゲルミル夫妻以外の同族は全滅してしまった。従って、この国の全巨人は漏れなくベルゲルミル夫妻の末裔と云うことになる。
ここに君臨する王はスリュム だが、ウートガルズの町にウートガルザ・ロキと云う王が君臨しているとも伝えられる。 2者の関係は不明である。
神々の国との間には常に流れて結氷しない河イヴィングが横たわり、境をなしている。 ノルニル三姉妹はこの国からアースガルズにやって来た。
終末の時ラグナレクには、全ての住人(霜の巨人)が決戦の地ヴィーグリーズを目指して怪船ナグルファルに乗り込み、この地を離れる。

黄泉の国 - よみのくに -

日本神話(Japanese mythology)

日本神話の死の国。ここの竈で煮炊きされた食べ物を一口でも食べると、現世には帰れない(黄泉戸喫)。これは世界各地の死の国の言い伝えと一致する。伊邪那岐の妻、伊邪那美が支配している。暗く、邪霊などが住み、黄泉平坂で現世と分けられている。

正しくは黄泉国(よもつくに)と読む。
黄泉神が支配していたが、いつのまにかイザナミがその座におさまっている。
「黄泉」には「夜見(暗くてじめじめしているの意味)」の字が当てられる。黄泉と月は同一のイメージがあり、月読の命の「読み」には「夜見」の字が充てられることもある。
死んだ者が行く所だが、そこに地獄というイメージはなく、イザナミが黄泉国の支配者になってから出来たもの。

イザナミという女性神は、島々や諸物の神を産んだ後、最後に火の神を産む。火の神を産んだ際に陰部を焼かれてイザナミは死に、黄泉の国へ行く。
『記紀』において、「黄泉」は死者の行く地とされている。『出雲国風土記』には、「黄泉の穴と呼ばれる洞窟があり、夢にこの洞窟を見ると死亡する。」という伝承がのせられている。このことからも、「黄泉」は死者の国とされていたと考えて良い。
それでは、「黄泉」の語はどのような意味であったのだろうか。『日本古典文学大系 日本書紀』の注には、「ヨモ及びヨミの意味は闇黒の意が原義かも知れない」「とし、西郷信綱は、「死者の赴くヨミの国のこと。「比婆の山の項でふれたように山は他界の入り口であった。ヨミという語はそのヤマに由来すると説く人もいるが、やはりヤミ(闇)の転と考える方がいいと思う。したに、イザナキが櫛の歯をかきとり火をともして見たとあるのも、そこが闇の世界であったことを示す。」としている。これらの黄泉の語源を「闇」とする説に対して、倉野憲司は「然るに「黄泉国」は暗いの意の「夜見の国」で落ち着くかといふに、『鎮火祭祝詞』の「与美津枚坂」の「与美」がこれを阻んでいる。「与」は乙類の仮名であるから「夜」の意にはとりがたい。このやうに一概に「夜見の国」の意にはとりがたい。このやうに一概に「夜見の意には解し得ず、不明といふより外に致し方はない。」とし、また、「因に「黄泉国」を「暗い国」の意であらうと言ったが、それはヨミとヤミ(闇)が通じるからだといふことからではない。即ち「黄泉」と「闇」とは無関係の語である。といふのは、ヨミのミは甲類であるが、ヤミのミは乙類であるからである。」として、闇が語源であるとの説を否定している。しかし、黄泉が暗い世界である事は、黄泉を訪れたイザナギが火をつけたとある事から間違えではない。
闇を「黄泉」の語源とする説は、菅野雅雄の説がある。「其処に於ける復活祈願の呪法=洞窟の中に屍体を安置し、そこに血縁者が一定の日数を数えつつ、或いは一二三・・・と数算みししつつ通って、その生き返りを願った行事の印象を強くして、ヨミノクニ・ヨモツクニの名を留め、一の異郷を形成した。さらに洞窟内の暗さがー或いは復活の呪法が夜間に行われたことをみせるかー夜見の印象を加え、死者の国として<黄泉>と中国の字義を借りて表記するに到った。」ここでは、復活再生の儀式である数算みが「黄泉」の語源であるとしている。算みが黄泉であるとは私には考えにくいが、復活再生の儀式と黄泉は深い関係にあると考えられる。(古代において死とは肉体から魂が遊離する状態であり、それが二度と戻らない事が死である。すなわち、魂が戻れば復活するのである。そのため、死者の名を呼んだりする儀式が行われた。)また、これは「黄泉」を考える上で重要な手がかりとなる。「黄泉」がどのようなイメージをもって書かれたかについて倉野憲司は、「ところで、古事記の黄泉国神話には、横穴式古墳がその説明の基礎となってゐるのではなかろうかとおもはれる節がある。」としている。西郷信綱は、「「黄泉比良坂」は死体を遺棄する洞窟であったのだ。『出雲国風土記』のかたる前記「黄泉の穴」「黄泉の坂」から多数の人骨が出土している事実も思いあわすべきである。」としている。伊波普猷は、「南島文化の葬制」の中で「沖縄本島には人骨の累々として積み重なった洞窟がかなり多く、土地の人は之を昔の戦死者の骨を収容した所だと言ってゐるが、これらはことによると、風葬時代の遺物であるかも知れない。」とし、久高島でも人骨を風葬の後に厳窟に放りこんでいたと報告している。本土で『出雲国風土記』の「黄泉坂」の例を考えるに、同様のことが行われていたと考えて良い。また、伊波普猷は同論文で風葬中に菅野雅雄が言うような復活再生の儀式が行われていた事を説明づけられる話しを例に挙げている。「其処では人が死ぬと席で包んで、後生山と称する薮の中に放ったが、その家族や親戚朋友達が腐爛して臭気が出るまでは、毎日のように後生山を訪れて、死者の顔を覘いて帰るのであった。死人がもし若い者である場合には、生前の遊び仲間の年男女が、毎晩のやうに酒肴や楽器を携へて、之を訪れ、一人一人死人の顔を覘いた後で、思ふ存分踊り狂ってその霊を慰めたものである。」これは伊波普猷も指摘しているが、天若日子の葬儀の場面と良く似ている。『古事記』には、「日八日夜八夜を遊びき。」とある。これもまた復活再生の儀式である。『日本書紀』の一書に「イザナギノミコト、其の妹を見まさむと欲して、即ち殯の処に致す」とある事からも黄泉が復活を祈る儀式を象徴しているとして良いのではないか。
イザナギはイザナミが見てはいけない、とした禁忌を犯した事でイザナミと永遠の別れをする事になる。これは、禁忌を犯した、と言う事に加えてイザナミの肉体は腐爛しており、もう復活はありえないと考えられたからではなかっか。腐爛した肉体には遊離した魂が戻ることができないからである。肉体の腐爛は、その人が二度と生者の世界に戻れない事を意味したのである。

黄泉平坂 - よもつひらさか -

日本神話(Japanese mythology)

現世と黄泉の国(よみのくに) の境となる坂。『古事記』には、「故、其の謂はゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂と謂ふ。」とある。また、根の国との境も黄泉比良坂とされる。
坂とは、境の意味であり、黄泉との境の黄泉比良坂のみで無く、他の他界との境にも坂が見える。海神宮との境には「海坂」がある。『万葉集』巻九「水江の浦島の子を詠む一首」にも「海界を 過ぎて漕ぎ行くに 海若の 神の女に」と見える。
黄泉比良坂の坂も先例の通り、「境」を意味する。つまり、「黄泉との境」の意である。この境について、『古事記』には、「亦其の黄泉の坂に塞りし石は道反之大神と號け、亦塞り坐す黄泉戸大神とも謂ふ。」とある。この神は黄泉との境を守る神であり、現在でも見られる道祖神とどう機能をもつ。つまり、害悪をもたらすものを中に入れないと言う機能である。
それでは「比良」とはどのような意味を持つのであろうか。沖縄の古典である『おもろさうし』のなかに「坂」を「ヒラ」とよんでいる例が見える(巻二 79番・83番)。 念のため『沖縄語辞典』で確認をすると、「hira 1(名)坂。「猶追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に(古事記上巻)」とある。例として、「黄泉津比良坂」をあげているので、間違えは無い。『アイヌ・英・和辞典』によれば、アイヌ語においても、「Huru or furu , フル 小山 坂, n A hill anaccliunity」とあり、「ヒラ」に似た語が坂の意味で使われていたことがわかる。「ヒラ」を『日本方言大辞典』でひくと、傾斜地、斜面、坂の意味で用いられている地方が、近畿・中国の一部・四国を除いて全国的に見られる。
仮に古い言葉が地方に方言として残っているとすれば、古代においては現在使われていない地方も「ヒラ」を坂として使っていたのではないかと想像できる。「ヒラ」の語は沖縄にもり、琉球語と日本語の分離は三世紀半ばから6世紀にかけてとされるから、仮に「ヒラ」が一般的に使われた時代が在ればそのころであろう。
「ヒラ」は坂の他に山の中腹、屋根の斜面、がけを意味する地方も在ることから、私は傾斜を意味する語であろうと考える。
他界は多くの場合、山の上であったり、海の彼方であったりする。それは人の生活圏をこえた所を意味する。その意味で言うと、山の斜面は、山上他界の考えでは、他界との接点である。(黄泉はイザナミの墓所的イメージが在る。『古事記』には「故、其の神避りし伊邪那美神は、出雲国と伯伎国との堺の比婆の山に葬りき。」とあり、山上他界的イメージが強い。)『遠野物語拾遺』226話には「すなわち死ぬのが男ならば、デンデラ野を夜なかに馬を引いて山歌を歌ったり、または馬の鳴輪の音をさせて通る。」とある。『注釈 遠野物語』によれば、「デンデラ野」は、山の斜面の尾根が平地になる所であるとある。これは、他界との接点であるから、死ぬ人間が死ぬ前に出現するのである。(『出雲国風土記』の中に「黄泉の穴」と呼ばれる洞穴の伝承が採録されており、夢でこの洞穴を見ると死ぬとある。これもデンデラ野と同じ考えに基づくものであろう。)ここからも斜面が他界との接点である事を読み取ることが出来る。

現世と黄泉の国とのあいだにある坂の名称。以前は自由に行き来できたようだが、伊邪那岐と伊邪那美の決別のとき、伊邪那岐によって封印された。道祖神はこの境を守るために祭られたのだともいわれる。

煉獄 - Purgatory -

天国と地獄の間にある、試練を試すところ。