ウラディーミル・アシュケナージ (音楽家・男・1937年生/アイスランド)    


 アシュケナージさんは、世界で最も優れたピアニストの一人で、指揮者としても立派な仕事をしています。アシュケナージの演奏するピアノは、どんなピアニストと比べても特別に音色が美しいと言われています。肩から手首が柔らかく、指の動きがなめらかなのでこの音が出せるのです。
 アシュケナージは幼い時からピアノの才能を発揮して、7歳の頃には旧ソ連のエリート音楽学校「中央音楽学校」に進学しました。そして、17歳の時にショパン・コンクールで2位に入賞、さらに、エリザベート王立コンクール、チャイコフスキー・コンクールでも次々と優勝し、世界的なピアニストとしての道を歩み始めたのです。
 しかし、アシュケナージが現在のように自由な演奏活動をできるようになるまでには、実はたいへんな苦労がありました。かつてのソ連では、国の考えに合わない芸術は抑圧され、演奏活動も自由に出来なかったからです。彼が海外で演奏するたびに、監視の役人が同行し、その際の発言を咎められて裁判にかけられたことさえありました。その後アシュケナージは、ソ連から家族を連れて脱出。ようやく自由に演奏活動を行えるようになりました。
 得意とするベートーヴェンやモーツァルトなどの演奏では、オーケストラを指揮しながらピアノを弾くという一人二役の超人ぶりも発揮しています。こんなアシュケナージさんに、ピアノの美しさを学んでみませんか?


メ ッ セ ー ジ

「音楽の本質は、共有です。過去の作曲家も、自分の気持ちを、他の人々と分かち合うために何かを表現したいと思って、曲を作ってきたのです。ですから、音楽家は自己中心の仕事ではありえません。もし、その出発点がたまたま自分であっても、結果として、自分の内にあったものをほかの人と共有するわけです。つまり、音楽を作るということはそれ自体、気持ちを分かち合う作業なのです。 」
特 別 授 業
ハリンゲイ・ミュージックセンター(イギリス・ロンドン)

   子どもたちが住むハリンゲイ地区にある音楽教育施設。ハリンゲイでは、子どもたちに楽器演奏や楽譜を読む技術を教えるよりも、感情やテーマを自分なりに表現することを重視した音楽教育を長年行ってきました。ハリンゲイの子どもたちはふだんから音楽を自己表現の手段のひとつとして使いこなしているのです。 子どもたちは「リディツエの悲劇」を音にするという課題に取り組んでから、プラハのアシュケナージさんを訪ねました。
 
“芸術家の家”(チェコ・プラハ)
  チェコの首都プラハ、モルダウ川のほとりに建つ複合芸術施設。1999年11月、アシュケナージさん率いるチェコ・フィルハーモニーによって、チェコ民主化10周年記念コンサートが行われました。アシュケナージさんはチェコ国民全体にとって意義深いコンサートのリハーサルから本番までを“教室”として選び、チェコ・フィルハーモニーのメンバーにも協力を得ながら特別授業を進めました。
 
リディツェ村(チェコ)
   第二次世界大戦中の最中、ナチス・ドイツによって破壊され、地図から抹殺されたプラハ郊外の小村。 1942年5月、ナチス・ドイツの占領下にあったプラハで、占領軍の副総督が暗殺されるという事件が起きました。これに対し、ドイツ軍は暗殺者を匿ったという嫌疑を理由に、リディツェ村を破壊して、見せしめとすることを計画。6月10日、突然やってきたドイツ軍は、15歳以上の男性全員を銃殺し、女性と子どもを強制収容所へ送りました。人口500人の平和な村は、完全に破壊されたのです。子どもたちは村を訪問し、生き残った村の人々の前で自作の曲を披露しました。
授業風景
(1)「音楽にしかできないこと」
 民主化10周年に沸くチェコ共和国の首都プラハ。世界的なピアニストであり指揮者としても活躍しているウラディーミル・アシュケナージさんは、長く活動の拠点をおいてきたイギリス・ロンドンの中学生を、このプラハに招いて特別授業を行いました。
アシュケナージさんは、授業の題材に第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに蹂躙されたチェコの小さな村リディツェの歴史を選びました。そして子どもたちに、この事件を音楽で表現するという課題を出したのです。しかし、戦争から半世紀が過ぎた今、子どもたちは、ナチス・ドイツが引き起こした悲劇について何も知りません。記録映画を見たり、わずかに生き残った村人を訪ねて話を聞いたりしながら、自分たちなりに歴史的な事件を音に表現していきます。様々な壁にぶつかりながらも子どもたちは、アシュケナージさんが説く「音楽の持つ大きな力」に自ら気づいていきました。

子どもたちの前で演奏
するアシュケナージ

リディツェ村の人々の前で
演奏する子どもたち
 
(2)「音楽が魂をまもった」
 アシュケナージさんは、スターリン独裁の下にあった旧ソ連で生まれ、若くして国際コンクールに入賞し、頭角を現しました。しかし、旧ソ連での演奏には様々な規制があったため、自由な音楽活動を求めて亡命しました。二回目の特別授業では、チャイコフスキーコンクールの裏側で共産党から脅迫されていたことなど、アシュケナージさんが自らの人生をつぶさに語り聞かせ、自由の大切さについて子どもたちと共に考えていきました。授業の題材には、20世紀のソ連の作曲家ドミートリ・ショスタコーヴィチの「反形式主義的ラヨーク」という風刺的な作品を取り上げました。政治と音楽との軋轢のなかにあっても自らの芸術を実現していったショスタコーヴィチの姿を通して、自由の大切さについて語り聞かせました。
「反形式主義的ラヨーク」
を解説入りで演奏

旧ソ連時代の経験を語る
アシュケナージ

 NHK『未来への教室より』