情感あふれる音色で、まるで聴いている人に語りかけてくるようなチェロの響き。天才チェリストといわれるミーシャ・マイスキーさんは、たくさんの人たちを魅了しています。 世界中を飛び回り、華やかな舞台で活躍しているマイスキーさんですが、その半生は波乱に満ちたものでした。旧ソ連のラトビア共和国でユダヤ人一家に生まれたマイスキーさんは、17歳で全ソビエト音楽コンクールで優勝し、続いて翌年にはチャイコフスキー国際コンクールでも入賞し、一躍脚光を浴びるようになりました。ところが、ピアニストだった姉がイスラエルに亡命したことから、マイスキーさんも亡命するのではないかと政府から警戒され、強制収容所へ入れられてしまったのです。収容所では、セメントを運ぶ強制労働を強いられたり、楽器はおろか楽譜さえも見ることができない生活を強いられました。しかし、その苦しい状況の中でもマイスキーさんは心の中でチェロを奏で、常に音楽のことを考えていたといいます。音楽がマイスキーさんの心の支えになったのです。 2年近くにわたった収容所生活からようやく解放されたマイスキーさんは、すぐさまイスラエルへ逃れ、やがて奥さんと子ども二人に囲まれた幸せな家庭を築きました。 多くの人の心をとらえて離さないマイスキーさんが奏でる調べ。そこには、マイスキーさんが歩んだ過去のつらく苦しい体験が生かされているのです。 マイスキーさんの素晴らしい演奏と温かくもせつない音色の秘密を“聴いて”みませんか。
楽譜がびっしり収納された棚
マイスキーさんの自宅近くの公園で、自然と音楽について語る
11歳の時に兄から贈られたバッハの無伴奏組曲の楽譜
「ひばりの歌」を奏でるマイスキーさん(伴奏・妻のケイさん)