Pablo Ruiz y Picasso
本名 : パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ。思想的、造形的に、激動の20世紀を時代とともに生きた画家。作品の総数は8万点を超えると推定される。キュビスム創始の中核となることによって、以後の現代美術のすべてに計り知れないほどの影響をもった。目に見える世界を粉々にし、主題の持つそれぞれの側面を、まるで神の目から見るかのように、同時に、一次元の世界に描いた。さらに、水彩、素描、版画、舞台装置、タペストリーやステンドグラスの下絵、壁画など驚くべき多面的な活動をした。早熟の天才で,抜群の描写力を持っていたが,自ら新しい造形の可能性に挑み,破壊と創造を繰り返していった開拓者でもあった。人々はその変貌の激しさに「カメレオン」「怪物」などと称した。1881年10月25日地中海沿岸の町スペインのマラガに生まれる。父 : ホセ・ルイス・ブラスコ(美術教師)、母 : マリア・ピカソ・ロペス。1888年8歳で油絵を描き始める。1891年ラ・コルーニャに転居。1892年父の勤める美術学校で、正式に素描を習い始める。1895年バルセロナ、リョジャ美術学校で学ぶ。《初聖体拝領》(1896)《科学と慈愛》(1897)全国展に入賞。1897年マドリード、サン・フェルナンド王立美術アカデミー付属学校で学ぶ。プラド美術館での模写。1898年オルタ・デ・エブロでの休養生活。1900年の初秋、最初のパリ訪問を前に自画像に記したモットーは「我、王なり」。1900年-1904年「青の時代」青を主調に貧しい人びとを描く。パリとバルセロナを往復。《人生》(1903)。1904年パリ定住。1905年〜 道化師、曲芸師を描く「バラ色の時代」。《ガートルード・スタインの肖像》(1906)。《アヴィニョンの娘たち》(1907)。1909年〜「キュビズムの時代」(立体派)。1913年父死去。1915年〜古典主義への回帰。《オルガの肖像》(1917)。1918年オルガ・コクローヴァと結婚。1921年息子パウロの誕生。1927年若き愛人マリーテレーズとの出会い。1936年プラド美術館名誉館長就任。1937年銅版画《フランコの嘘と夢》《ゲルニカ》とその習作45点パリ万博に展示。1935年マリー=テレーズとの間に長女マヤが生まれる。1943年愛人フランソワーズ・ジローとの出会い。1953年ジャクリーヌ・ロックとの出会い。1947年フランソワーズ・ジローとの間にクロードが生まれる。1949年にはその妹、パロマが生まれる。1957年ニューヨーク近代美術館にて「ピカソ75歳記念展」開催。《ラス・メニーナス》に取り組む。1961年ジャクリーヌ・ロックと結婚。1963年バルセロナ、ピカソ美術館開館。1971年ピカソ90歳の誕生日を記念して、ルーブル美術館にて展覧会が開かれる。1973年4月8日南フランスで死去。