香道
香道

旧大名家に傳承の香道

旧磐城平藩主傳来
安藤家御家流香道

旧磐城平藩主・元子爵家

昭和四十五年六月よりお留流を解き、世間の同好の士に傳授して現在に至る。
安藤家第十六世当主著・東洋出版(徳川譜代大名 安藤家の伝承ごと)に詳しく述べております。

香道

■ 香道の系譜

志野宗信(志野流の祖)
 −志野宗温
  −志野省巴
   −蜂谷宗悟(志野流本流継承)
   −建部隆勝(信長の近臣)
    −坂内宗拾(信長の近習)
     −蘭秀和尚(相國寺塔頭・巣松軒長老)
      −米川常伯(小紅屋三右衛門と称す)
※東福門院御所の侍女にご指南役を勤め、参内の折のみ特別に従五位として参内

■ 東福門院御所

後水尾天皇中宮、徳川二代将軍 秀忠公姫(御名・和子)
安藤家御家流香道の尊祖

三百三十年の御遠忌にあたり 祥月御命日を繰り上げ二〇〇七年四月十五日京都泉涌寺山内別院雲龍院霊明殿に於いて法會を勤め宮内庁月輪陵墓監区事務官の先導にて御陵御拝を一門一同に依って相済ませました。

■ 安藤重之室

養徳院
安藤家第二代重長の長男・従五位式部少輔重之の室にて藤堂高次の姫(藤堂高虎の孫)、名は蝶。
重之十九才、若くして他界。未亡人となり京へ上り、京屋敷に滞在し、東福門院御所に参殿し香道に接し斯道を江戸に持ち帰り、安藤家の定流となる。

米川流百二十組をはじめとして、外十組、別十組を古文書として現在に傳える。
墓所は東京小日向徳雲寺にあり。

■ 安藤重博

安藤家第三代対馬守
上州高崎城より備中松山城へと所替えとなる。

香道

■ 安藤重博室

看松院
安藤家第三代重博の継室。
四代信友の母。鳥井氏。名は重。

■ 安藤信友

第四代対馬守(吉宗公時代老中・従四位下)
一尾流の茶道に精通し和歌・故実・俳諧に名あり。
備中より所替えとなり美濃加納城主となる。

■ 安藤信尹

五代対馬守。加納城主。室は細川越中守宣紀の姫、名は三千。

■ 三尾周助

安藤家家臣。士分にして御家流茶道・香道の両流を預かる。
三尾家が代々指導を預かる。
士分にして茶道頭。

■ 三尾周佐

士分にして御家流茶道・香道の両流を預かる。

■ 三尾宗吉

士分にして御家流茶道・香道に加えて伊勢流の文書を預かる。

■ 三尾順助

明治四年廃藩と共に辞して大正初年迄東京下谷に住す。
十二代従三位信勇の住まいの近くに住み、何かお役に立つことがあればと傳えられている。

■ 安藤荘厳院

名は百合子。綾信里方母。
三尾宗吉・順助親子より継承す。

■ 安藤綾信

安藤家第十六代当主。
御家流茶道十六世宗家。安藤家御家流香道十一世家元。号・鶴翁院。
本家元子爵信昭の養嫡子となる。
伊勢流、故実礼法を傳承し、昭和四十五年六月、初代対馬守重信三百五十年遠忌・十代対馬守信正百年の遠忌を東京白金八芳園に於いて催す。
高松宮殿下ならびに同妃殿下の御来臨を仰ぎ、旧平戸藩主・松浦素様のご出席を賜った。
御家流顧問。

■ 当代家元

安藤綾冠。名は園枝。綾信長女。十七代祐輔妻。

平成三十年十一月、家元襲名。

大名奥向きの香道で、奥方・姫君方の香道であります。
有職故実や古今集、伊勢物語、源氏物語等より取材の組香に依ります。
盤物・建物・人形などを動かし、香札も美しい各種色々な札を用い楽しむ流儀であります。
少人数が特色であります。