「降下」 で長くかましてしまったので、こちらでは質素にしてみました(笑)。
嘗ての自衛隊の勧誘文句の一つに 「資格が取れる」 というモノがありました。
まあ実際には専門職種にでもならない限り自訓に行ければ万歳のほう・・・なんてもんでしたが。
自分の原隊では自訓(正式には自動車教習所だが、我々は訓練隊=自訓と呼んでいた)への入校率は非常に高く、2任期もいれば
大体は退職までに大型免許を獲得する事が出来ていました。
流石に国が実施しているだけあって、個人が直接払う(形になる)費用は大型免許で¥5万ほど(用は書類の類のみ)、こんな所は
日本広しといえど無いでしょう。
が、
常に見られる身の自衛隊、ましてや公務中に公道で事故を起こす訳にはいきません。
学科は恐らく普通の教習所と同じく行われますが、実技は出来ない者には正に”拳”を持って行われます。
当時自分は車には興味の興の字も無く、ただ”資格が有るなら越したことはないな”位にしか考えていませんでした。
そんな輩がいきなり3トン半なんて大型車乗ってみたらどうなることやら、案の定、火を見るより明らかでした。
「高けー!」 「でけー!」 「怖えー!」
・・・ハッキリ言って、運転出来ませんでした、ハイ。
とにかくそのサイズに圧倒され、運転席に座っただけでも緊張と震えが止まりませんでした。
オマケに教官は鬼教官として知れ渡っている方、更には同じ中隊と言う事もあって下手な真似は出来ない、もう最悪。
教習中は運転していると言うより車に運転されている、教官が運転して自分が補助している・・・そんな感じでした。
で、何が苦手だったかって?
総てです。
内容は民間の教習所とほぼ同じなので割合します、入校中はまともに出来た試しがありませんでした。
少しやっては降ろされて腕立て伏せ、またやって降ろされて腕立て伏せ・・・、何回やったかも覚えていません。
おかげで卒業した時は上半身が2周りほど太くなっておりました。
そんなこんなで(ここでもですが)も当然講習は進んで行く訳でして、自分だけ中断し・・・と言う訳にもまいりません。
その時の自分は、ただただ言われた通りに、意思を捨てて機械的に動作を行っておりました。
機械的・・・、これだ!
そう、仮免・卒業(本)検定の際は、これで総てを乗り切ったのです。
スタートの半クラ、スピードメーター、窓から見える風景の角度、果ては移動の時間まで・・・。
総てがダメだったので、総てを機械的に頭に叩き込み、見事ベストで検定を乗り切ったのです。
間違っても自慢ではありません、この時はそうするしか乗り越える事が出来なかったのです。
自訓ですらこんな様だったので、余暇の時間はとても素面ではいられませんでした。
よく側に住んでいた同期(今後一緒に部屋を借りる事となる、次項参照?)のアパートに転がり込んで、強引に酒に付き合わせておりました。
何はともあれ、無事免許を取った時は 「もうカンベンだ。」 と心底思ったものです。
ですが終わってしまえば鬼教官も良き親父、先輩に 「お前は毎日がドラマだったな。」 なんて言われていました。
正に深き思い出の一つです、教官には 「俺の方がカンベンだよ。」 などと言われてしまいました、笑いながらですが。
今では技術もだいぶ安定し、自分で車を買ってしまったり、次の仕事では人乗せてバス運転したり(無論大型)、スピード違反で免停を食らったりしていますが、残念ながらあの時の経験は
あまり生かされておりません。
何故なら、上でも言っているじゃあないですか。
あんな思い、2度としたくない!!!
(スイマセン、落ちになってませんね・・・。)
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