コラム(”暇潰し”と読みます。)〜その1




全っ然進んでないこちらにお越し頂き感謝感謝で御座います。
いっまだにやる気が出ない日々ですが、まあセコセコと生きていますわ。
さて、堅苦しい内容だけではつまらんので、ちょっと休憩も兼ねてこちらを開いてみました。
記念すべき?1回目は「外人部隊って何?」


・・・こら、「何余計な仕事増やしてるの?」とか言わない!(笑)


普通の人に「外人部隊」と聞くと大体は麻薬組織に雇われたならず者的な答えが返ってきます。
少しでもミリタリーを齧っている人に聞くと「フランス外人部隊」と返ってきます。
ではその肝心な「フランス外人部隊」って?、答えられる人は少ないです。

答えから言うと、「フランス外人部隊」というのは「フランス陸軍」の中の「外国人によって編成された部隊」の事で、 どこぞの麻薬王やら金持ちやらとは全く関係ない、立派なフランス正規軍の一部隊の事です。
つまり、「外人部隊」と呼称してはいますが、正確には「フランス陸軍第○外人連隊」というのが正式名称なんですよ。
確かに陸軍ながらも「Legion Etrangere」と名乗っており、Army Franceとは別の位置にいますが、容として例えるならアメリカが 「陸軍」「空軍」「海軍」「海兵隊」と戦力編成分けしているのと同じで、フランスでは「陸軍」「空軍」「海軍」「海兵隊」そして 「外人部隊」という具合な訳です。
ここでは名前が最後に位置していますが、実際はフランスの実働兵力の中核であり、(海外派兵の伝統も手伝って)植民地への 展開やPKOなどの任務に優先的に就いています。

記憶が薄くなっているので概略ですが・・・
そもそもは18世紀、パリでは国外からの移民・難民が溢れ返っていました。
おりしも世界は激動の真最中、ただでさえ陸続きで大きな領土を持つフランスに人が集まるのはそれほど珍しい事ではなかったの かもしれません。
同時にフランスはアフリカを始めとする世界各地の植民地での紛争に対し戦力を求めている最中でした。
そこで時の君主、ルイ・フィリップが「外国人を合理的に受け入れかつ軍事力にも貢献出来る」という構想から誕生したのが外人 部隊でした。
これが噂が噂を呼び、近隣諸国にて国を負われた輩の’駆け込み寺’的な存在になっていった訳です。
まあ創設当時は文字通り「ならず者」の集団だったという事ですね。
ただそこで集まった輩はいい加減だったかというとそういう事は無く、寧ろ己を受け入れてくれたフランスの為に死をも恐れず果敢 に戦い、当時その大半は再びフランスの地に戻ることはありませんでした。
中でも同世紀、部隊が全滅する状態にも関わらず最後まで降伏しなかったメキシコ・カマロンの戦い(生存者1名)は、外人部隊史上 最も名誉ある史とされ、現在でも戦いのあった4月30日は毎年「カマロン」と呼ばれるフェテ(記念日)とされ、盛大な式典が開催されて います。
ちなみに入隊の宣誓でも「我々はフランス、そして外人部隊に忠誠を誓う、カマロンのこの日から」みたいな謳い文句がありました。
この’駆け込み寺’の状態は実に70年代まで続き、2次大戦後などはドイツの戦犯が特に多く、祖国を捨て、知識と技術を持った 彼等はインドシナへと旅立って行きました。

現在はというと国家体制が出来上がっているのでこういった著しい存在が志願してくる事はまず無く、あっても本部での調査隊 (ゲシュタポと呼ばれている、インターポールなどと通じて志願者が国際手配であるかどうかなどを調べる)にて身元が割れて御用となる そうです。

大国は世界に習い、また不況もあって軍縮の傾向に傾いていますが、今でもフランスは外国人を自国の兵士として迎え入れています。
これから書いていきますが、各地の募集事務所に集まった志願者はオバーニュ(マルセイユの少し北東)の第1外人連隊(1er RE・外 人部隊本部)に集められ、ここで数種の検査・身辺の調査を受け、問題ない場合選考により入隊を許可されます。

入隊後はまず南のオード県、カステルノダーリ(カルカッソンヌ・県庁所在地の西)にある第4外人連隊(4e RE・教育隊、自分の居た 連隊です)にて4ヶ月(実質3ヶ月半)の基礎訓練を受け、終了後また本部に戻り、本来ならここの最終面接にて本人の成績を考慮して各連 隊に配属されて行きます。
また予め除隊希望を出していた者はこの時点にて最後の選択をし、手続き等の期間を雑用として過ごし、去って行きます。
・・・まあ自分は題字の通り後者を選んだ訳です。

連隊行きを選ぶと面接の翌日にはもう各部隊へ移動となります。
連隊での1期の配属期間は2年、それから移動する・しないは本人の自由です。
嘗ては本部での面接の後、そのまま国外部隊を希望出来たのですが、現在では最低2年の国内勤務が義務付けられているらしく、これもまた自分の辞めた 理由の一つでした。
配属されるとまずそれぞれの部隊の専門訓練を受け、その後は自衛隊と同じく訓練と雑用の日々が続きます。
もっとも、軍隊ですのでより実戦的な経験を詰めますし、タダでアフリカに行けたりはするのでそれなりのアクション・メリットは 有りそうです。

5年の任期を迎えると除隊か継続かを選びます、この時点で希望すればフランス国籍を取る事も可能で、その後国内の企業等で働く為の 斡旋もあるそうです。
また、除隊しても半年以内ならば在隊時と同じ身分で復帰も可能だそうです。
そのまま継続し15年勤務が経過した時点で当人には年金の支給が決定します、これは本人が帰国を希望したとしても、そのまま支払わ れるそうです。

では祖国を捨て、ここ以外に行く場のない、正に”Legio Patria Nostra(外人部隊こそ我が祖国)”といった者はどうなるのか・・・ 退職までは部隊に居続けられます。
その後はというと、外人部隊の保有する老兵院に入る事が出来ます。
これは昔から存在する施設で、現在でもかつて部隊、フランスの為に貢献した先人達が疲れを癒す余暇を過ごしています。
嘗ては猛者として活躍していた彼等も隠居すれば普通の人、皆良き老人として過ごしております。
オバーニュでの支援で行きましたが、山とブドウ畑に囲まれた地で、我々若き志願兵を可愛がってくれたものです。


とりあえず、今回はこんなところで。


ではまた次回。



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