■異文化教育としての韓国語教育の可能性──日本の高等学校における事例から:2000年報告
 

本稿は、韓国の関係者の方々に、日本の高等学校における韓国語教育の現況について知っていただくとともに、その意義を明らかにすることを目的とする。そして、日韓両国における英語教育や韓国の日本語教育と比較することによって、異文化教育としての外国語教育の方向性を探り、日韓間において隣語教育がよりいっそう活発化することはもちろん、21世紀地球市民社会における”平和の文化”の創造に、多少なりとも貢献できればと願うものである。

 

1 高等学校における韓国朝鮮語教育のあゆみ

日本においては、現在、全国5000余の高等学校中約200校で、約4,000人の生徒が韓国語を学んでいる。その比率をみると、学校数で全体の4%、生徒数ではわずか1%をようやく上回る実情だ。これをみた限りでは、韓国における日本語教育とは比較にならない水準と映るかも知れないが、歴史的・社会的環境がちがうために単純に比較することはできないと考える。1973年に始まる高等学校の韓国朝鮮語教育が、30年の歳月を経て、今日全国約200あまりの学校に拡大するに至る経過をみてみよう。 

   黎明期・・・1973年以降、80年代前半までは、広島・兵庫、それに大阪・東京に限られて、学校数も少なかった。これらの都市は、いずれも在日韓国朝鮮人の多住地域であり、在日の高校生と日本の高校生のあいだに衝突が絶えないなど、偏見と差別が激しいことに苦慮した現場の教師たちが、ひょっとして言語教育をとおしてその克服が可能ではないかと考え、未開の大地を切り開いたものである。これを「人権教育型」とよぶ。

   拡大期・・・80年代中盤になると、私立高校を中心に、韓国の高校との姉妹校締結や、それにともなう生徒の往来を伴う交流が活発となり、その事前事後教育として、韓国語教育が世間の耳目を集めたのである。この類型を「日韓交流型」とする。

   成長期・・・90年代にはいると、韓国語教育は本格的に普及することになった。80年代までは30ヶ校に過ぎなかった学校数も、90年代前半の5年間だけでも ヶ校増加し、その分布も全国に拡大した。それこそ、全国津々浦々で、望みさえすれば誰でも韓国語の学習が可能になったのである。90年代は、教育課程の内容はもちろんのこと、学校の形態に至るまで教育の多様化が急がれていた時期でもあり、様々な学習領域のひとつである「異文化教育」の回路として市民権を得たものである。この類型を「異文化教育型」とよぶことにする。

   深化期・・・90年代後半になると、ごく一部においてではあるが、外国語学科のなかに韓国語コースをもうけるなど、一定水準の言語運用能力の獲得を追求する試みもなされるようになった。「語学教育型」と呼んでおく。 

このように、韓国朝鮮語教育は導入の主たる契機と年代によって、このように四つの類型化が可能であるが、実際の授業は、これら要素が混ざりあって展開されているのはいうまでもない。

 

2 韓国朝鮮語教育の成果と課題

前節で見たとおり、高校における韓国朝鮮語教育は、確実に定着しつつあるが、韓国においては教育課程上、第2外国語が規定されているのとはちがって、日本においては第2外国語自体がなく、「その他外国語は英語に準ずるものとする」とわずか数語書かれているに過ぎない。このように、韓国語教育の基盤は、脆弱というよりもほとんどないもない状態から始めなければならなかったといっても、過言ではない。以下、課題をあげてみよう。

まず、2単位1年間の選択授業が大半を占め、複数年にわたって、また4単位以上履修する例は少ない(注2)。2単位、すなわち年間授業時数50時間は、決して十分とはいえない。また、ほとんどの学校において選択科目として設置されているために、生徒が学習に対して積極的な動機をもちうる反面、学習者の総数は少なくなり、年度によって希望者数が選択授業の開講基準に満たず、開講されないこともありうる。総授業時間数が少なく年度によって増減するなど不安定なために、専任教師を配置することができず、いきおい非常勤講師に頼りがちなのも事実だ。このような困難な状況にあって韓国語教育が成し遂げられるためには、学校当局や周囲の教師の真なる理解が必須である。

たとえば、非常勤講師が、次年度の選択授業募集の作業に関わるのはむずかしく、適切な配慮がなければ韓国語授業の広報活動がきちんと行われないことがありうる。第2外国語を、仏、独を含めて3科目のなかから選択し、3年間計6単位履修するA高校において、韓国朝鮮語の希望は、例年40名中数名であ、第3希望者を含めてようやく充足する状態だったのが、2000年度は、第1希望だけで10数名の講座が開講できたという事例は、周囲の教師の精神的理解がいかに重要かを物語っている。

これについて、担任教師はこういう。

*私は英語の担当ですが、これからは、英語以外に、西洋言語ひとつ、アジア言語ひとつの3言語の素養をもつ必要があると思います。それで、「韓国語もおもしろいよ」と言ったんです。勧めたというより、ただそう言っただけなんですけど・・・(岩手教)

担任教師の一言が、生徒たちにそれまで目に入っていなかった、未知なる世界への扉を開けさせたのである。このように、高校における韓国朝鮮語教育の基盤は、けっして確固たるものではないが、困難な中にあって、少しでも充実した授業を実現しようとする教師たちの努力が、むしろ豊かな成果を生み出してきたともいえよう。

 

3 韓国朝鮮語授業の実際

韓国朝鮮語は、その学習にあたって、固有の文字と発音を習得しなければならない言語の一つである。知らない者にとっては紋様にしか見えないハングルだが、その表音文字としての仕組みを理解することは、実はさほど難しくない。ただ、日本語にない、あるいは日本語では区別をしない音が多く存在し、その習得には一定の時間を必要とする。一方、文法は日本語と近似し、「日本語話者にとって比較的学びやすい言葉」と言われる。

しかし、音節が子音で終わることが多いうえに、音の変化が頻繁におこるため、「目にやさしく、耳にむずかしい」ということにもなる。「やさしいと思ったのに、実はむずかしかった」のではなく、「むずかしいけれど、やっぱりおもしろい」と思えるように、教師たちは、学習事項の提示に日々工夫を重ねている。調理実習や伝統芸能の体験なども行う。言葉が文化の結晶だとすれば、このような背景的な文化学習が、言語教育のなかで重要な位置を占めるのは当然といえよう。

さらには、韓国朝鮮語を母国語とする朝鮮半島の人々、あるいは在日朝鮮韓国人について知り理解するために、日本と韓国朝鮮の関係史について学ぶ時間をとることも多い。隣りあうがゆえ密接な関係があった韓国朝鮮の言葉を学習するにあたって、光も影もふくめその歴史に触れることは、これまた自然なことなのである。これらを、1年間50時間という限られた時間に盛り込んでいくのが、高校における韓国朝鮮語教育の最大公約数的な像といえよう。

 

4 韓国朝鮮語教育の目的と意義---教師たちは、何を伝えようとしているか

外国語教育の目的または意義は、いったいどこにあるのだろうか。一般的には、まず、意志疎通の手段としてその言語の運用能力を育て、習得させること。次に、言語を学ぶことによって、その背景である文化を知り理解するところにあるといわれるが、韓国語教育の場合はどうなのか。教師が韓国語の授業において何を伝えようとし、生徒たちは何を得たのかをとおして、みてみたい。 

�日常生活のなかで抑圧されている在日の高校生の中には、自分が在日であることを受け入れようとしない生徒も少なくない。こころある日本人教師たちは、彼らが自信をもって生きるためには、韓民族としてのほこりを取り戻すべきだと考えた。そのためには、日本人生徒に朝鮮文化を理解してもらわなければいけないのだが、それを知識として教え込もうとした試みは、ことごとく失敗してきた。ところが、大阪のある在日教師の言葉によれば、日本名で通っていた生徒が韓国語の授業にでているうちに、みるみる在日であることを肯定的に考えるようになり、授業中は本名を名乗るようになったという。それは、席を並べる日本人生徒が、自分の母国語である韓国語を楽しんで勉強している様子を見て、まるで自分自身を受け入れてくれているように感じたからではなかっただろうか。

 一方、ある日本人生徒は、「初めてハングル語を習って、書いたり話したりしているうちに、だんだん親近感がわいてきた。前までは絶対に使いたくない言葉のひとつに入っていたと思う。(略)横浜でチマチョゴリ着てる女の子たちが「アンニョン」って言ってるのを聞いたのはビックリした。何か通りすぎただけなのに耳に入ってきて、もしハングル語なんかやってなかったら何も気づかずに通りすぎているんだろうな、と思う。」と言っているが、これは、それまで近づこうとしなかった朝鮮高校生が口にした「アンニョン」という音を直接耳で聴き、かつそれを「書いたり話したりしているうちに、だんだん親近感がわいてきた」朝鮮語の、意味のある単語として認識した時にはじめて、在日の高校生の存在を初めて自分自身の力で受けとめたということではないだろうか。

 「読むのはだいたいできてきたけれど、その通りに言えない。前は、なんとなく韓国の人をさけてたけれど、2カ月ぐらいこの勉強をして、考えたのとは全然ちがっていてびっくりした。(略)音楽とかビデオとかをもっといっぱい見たい。それで韓国のことをちゃんと理解したい」という生徒は、在日や韓国に対する、漠然とした否定的イメージを韓国文化への好奇心に昇華させている。

�迷いながら選択した韓国語の授業に出た生徒たちは、はたして「やさしいと思ったのに、実はむずかしかった」のではなく、「むずかしいけれど、やっぱりおもしろい」と思っているのだろうか、気になるところだが、必ずしも積極的な動機で選択したとはいえない生徒たちが、「韓国語は日本語と文法が似ていて、わかりやすい。英語ではなくて、韓国語を習っていればよかった」あるいは「むずかしいことはむずかしいけれど、語順が同じなので少しでも単語を覚えさえ覚えたら、文をつくれそうなので嬉しい」といっているのをみると、意外にも日本語との共通点が多い韓国語に出くわした驚きを隠しきれない様子がうかがえる。そして、その驚きはよろこびに変わっていった。

「私が始めたきっかけも(中略)、ぱっと見ただけでは到底文字には見えないあの言葉を読んでみたいという気持ちがあったからであり、初めてあの記号が文字に見えたときは本当に嬉しかったものだった。(中略)2年生のときにハングルと出会い、どんどんのめり込んでいった。この飽きっぽい私が2年間も嫌がらずに続けてこられたのは、やはりハングルにそれ相応の魅力があったからだろう」という生徒は、最初は幾何学的な記号にしか見えなかったハングルが、勉強を初めていくらも経たないうちに母音と子音が結合して音節を構成していることに気づいて、いつのまにかハングルを憶えてしまったことに、自分ながら驚いている。そして、その感動が、その後学習を継続する原動力になっているのである。いいかえると、幾何学模様にしか見えなかったハングルが意味をもった文字に見えるようになったように、どうしても理解できそうもなかった韓国という国が、その文字を使い会話をする人々の息づかいがする世界として、自然に受け入れられたのである。

�韓国との出会いをきっかけに、視野をさらに広げ、また深める生徒もいる。

「英語は確かに好きな科目ですが、ハングルを勉強するようになってから、隣の国なのに、何も知らなかった韓国が、とても身近に感じることができました。中学のころまでには、外国人というとついアメリカ人を想像してしまう私でしたが、今では韓国人が浮かんできます。TVで韓国人が話しても、以前は聞こうとしなかったのに、今では集中して聞いてしまいます。たとえ、少ししか聞き取れなくてもとても嬉しくなります。ハングルを習って、また別の世界が開けた気がするし、(後略)私がハングルを勉強していることを不思議がる人たちにも、韓国のことをもっと知ってもらいたいと思います。魅力のある国は、アメリカだけではないのです」と、無意識のうちにアメリカをして外国を代表させていたことに気づき、世界を見る目が複眼的になっている。

 「この2年間で僕のまわりの世界が変わったと言うか、僕の考え方が広がったというか、韓国という一番近い国を足がかりに、世界に目を向けるようになった」という生徒の場合、やはり韓国が世界観を一変させる足がかりとなっている。そして、「韓国朝鮮語を習ったことで、日本語の面白いところも発見できた。日本語でも「ん」の発音の仕方が違うって知って驚いた」という生徒が、思いがけなく覗き込んでみると自分の姿が映っていたのは、韓国語という鏡だった。

 韓国語の学習とは、相手を真正面から見据え、同時に自らをみつめることでもあったのだ。このように、他者の理解は、やがて自己への関心につながっていくのである。

�「久しぶりに興味のもてる授業で嬉しい」「3年間いろんな科目を勉強して、いちばん自分のものになったと言えるのは韓国語だ」と学ぶ歓びを吐露する生徒がいるかと思えば、「本当に本当に楽しい2年間でした。(中略)この2年間は私のじまんです。こんなに”勉強が楽しい!”って思えたのは韓国語が初めてです。」「韓国語の勉強をしている自分は、何かふだんの自分とはちがくなって、いきいきしたり、楽しんでできるのでうれしいです」という彼らは、韓国語の授業をとおして、忘れて久しい勉強する楽しさをとりもどし、そんな自分を誇りにさえ思っている。

 言い換えると、ある教師が目指したように、日本語の感覚でわかる外国語があるということを肌で感じることにより、英語を学ぶうちになくしてしまった自信をとりもどしたのだった。そして、ついぞ知らなかったもう一人の自分に出会い、自分自身を信頼するということを思い出したのだ。多様な言語を知ることは、実は自分自身の多様な可能性の発見に他ならない。

 

5.韓国語教育の果たす役割

上にみたとおり、生徒のなかでは、通常なら考えられないような大きな変化が、それもあっという間に起こっていたことをよく記憶しておきたい。それは、今までになかった、まったく新しいものが生まれるいう意味で、「心の化学変化」とでもいうべき現象である。その化学反応の場が、“習うまではけっして使ってみたいとは思わなかった”韓国語の授業だったのである。一方で、1週間に50分授業が2回、年間50時間にも満たない限られた時間内においては、授業はいくらも進まないのはいまさら言うまでもない。1年間韓国語を習ったとは言っても、実際につかえるのは、いくつかのあいさつと限られた会話がいくつか、というのがせいぜいといった場合が少なくない。もしも、一定の言語運用能力を獲得してこそ外国語教育の意義があるというのなら、この程度ではすでに失敗したのと同じだ。

たしかに、外国語は、それをもって意志疎通が成立して初めて、学ぶ意義があるというのは否定できない。とくに、国際共通語である英語の場合を考えると、なおさらだ。政治経済文化など、あらゆる分野において国際交流が活発化した国際化社会において、さまざまな国の人々が交流するのになくてはならない意志疎通手段であることは否定のしようがない。であるから、英語圏以外の国においては、その習得のために並々ならぬ力を注いでいるのであり、ご承知のように早期教育という点では、韓国は日本よりも一歩先んじている。

ところが、このように国際性を強く帯びた英語が、実は同時に強い反国際性をもっているといったら、訝しがる向きがあるかもしれない。さて、国際性とはなにか。国際化した社会においては、さまざまな国民、民族がお互いを尊重してはじめて、共存することができる。お互いを尊重するとは、自分とはちがう相手のアイデンティティーを認めて受け入れることに他ならない。しかし、英語で意志疎通をしているうちに、英語だけが世界中の人が習うに値する言語だと思い込み、英語が背景とするイギリスやアメリカの文化を基準として行動するようになるのではないか。

実際、1947年実施の学習指導要領において、英語教育に関して「その言葉を話す人々の心になる」と言及されているように、それを良しとして、意図的に目指すことさえあるのをみると、それも杞憂ではなさそうだ。生徒の感想にあったように、「外国人といえばついアメリカ人を思い起こしてしまう」のには、こういう背景があることを知っておく必要があろう。

われわれが国際化した社会において平和に暮らすためには、円滑な意志疎通が必要不可欠で、そのためには良かれ悪しかれ国際共通語になった英語をつかって交流するしかない。ただ、その際に、様々な民族が培ってきた固有の文化の価値を傷つけてはならないし、そのためには、英語はある歴史的過程によってたまたま国際共通語になっただけで、様々な言語のひとつに過ぎず、どのような言葉にもそれぞれの価値があるのだ、という認識が必要だ。これを言語意識の多様化という。

その言語意識の多様化が、従来の知識の伝達、詰め込み教育では不可能だとするならば、そこで大きな役割りを果すのが韓国語教育である。なぜならば、日本語を母語とする者にとって、これほどまでに似ている外国語が、すぐ横に、おまけにずっと以前からあったということは驚くべき事実以外のなにものでもなく、その発見の衝撃は、それまで描いていた世界観と自画像を一瞬のうちに崩し去ってしまうほどのものだからである。

そして、それら世界観と自画像の再構築、すなわちアイデンティティーの再構築の過程で、生徒たちは、既成概念でしばられない、新しい生き方を見つけだすという、心の化学変化まで起こしていた。したがって、意思疎通手段として有効なほど習得したわけではないが、異文化という他者を知り自己に出会うという意味で、日本の高等学校における韓国語教育は大いに成功しているといえよう。

一方で、英語教育が反国際性を帯びてしまうのは、その高い実用性の影に異文化教育として意味が、隠れてしまうからではないか。とするならば、言語意識の多様化により、真の意味での国際性を回復することも、また可能なのではないだろうか。ひるがえって、韓国における日本語学習が、日本における韓国語学習とは比較にならないほど実用的価値があるとするならば、英語教育と同じ陥穽に陥る危険が、全くないと言い切れるだろうか。また、日本における韓国語教育が量的に拡大するにつれ、異文化教育としての意味を見失わないと、誰が断言できるだろうか。

 

おわりに

私たちは、外国語教育をおこなうにあたって、意志疎通手段を習得する教育として質的向上を目指しつつも、異文化教育としての意義を見失わないように、つねに言語意識を相対化しつづける必要があると考える。それが、言語教育の質を真に意味で高めることであり、日韓間に真の理解と信頼をもたらし、ひいては、地球上の諸民族が、いや60億の人間すべてが、お互いの価値を尊重しつつ自己のアイデンティティーを確立して自律的に生きることが出きる、平和の文化の創造に一役買うことができると確信するものである

 

山下 誠  【帝塚山学院大学国際理解研究所主催の第26回国際理解教育賞(2000年)の応募論文】

 

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