ぼくは必死で知ってる単語を並べ立てた 「オットッケ?…ポスロ?…」
金未亜
とにかくこの研修は、ぼくの人生の中でも上のほうに位置するくらい、思い出に残るものだった。
初日はとにかくみんなと仲良くなろうと思い、積極的にはなしかけた。特に男子の数が少ないので、夕方にはみんな仲良くなっていた。宿舎で合流した全国の皆と仲良くなるために、夜に「国際交流よりまず地域交流だ!」といって、ぼくと大志君は東京と広島の子の部屋に行き、お互いの方言の話で盛り上がった。そしてみんなの中によぎった一つの不安…
「日本人のなかでこれじゃあ、韓国人とはどうなることやら…」
みんな顔を合わせて不自然に笑いあった。
翌日、みんなで話し合った決め事のようなもの。
(昨日よりは韓国語を話そう)
このころから、みんなのなかに「韓国語をもっと学びたい」という意識が芽生え始めていた…夜は自由行動とゆうことだったので、みんなで南大門市場へくりだした。そこでのみんなの意見。
「ここは韓国じゃねぇ。」
そう、オバチャンからおっちゃんまで、みんな完璧なまでに日本語をマスターしていた。
「おにちゃん、やすいよ。」
おれは鬼じゃねえ。
「ワン、サウザントイェン!」
結局ウォンでいくらだよ。そんな大阪人にはつっこまずにはいられない雰囲気だった。しかし、韓国の地下鉄の乗っている時間の長さに驚かされた。片道1時間。運賃70円。おいおい…。
その夜も、宿舎では緊急茶話会が行われることになった。
そして、3日目。みんな朝から緊張顔だった。
「おれ、韓国語全然むりだよ。」とか
「どんな子がペアになるんやろ?」とか。
しかし、容赦なくその時はやってきた。
「はい、名前を呼びま?す。」
ドクンドクン
「金 未亜君!」
「イェ!」
ぼくのペアは帽子のよく似合う男の子だった。
「はい、解散!」
え・・・。ソンセンニム、いまなんと?
「もう解散ですか?」
「はい。あたりまえ。」
みんなあっさり散らばってゆく。
「んじゃ、いこか?」
ここから、本番だ!ぼくは必死で知ってる単語を並べ立てた。
「オットッケ・・・(身振り手振りで家まで帰るのかと)」
「ポスロ・・・」
そうか、バスか。
「チュィミヌン、ムォエヨ?」
「PCハゴ・・・チュック。」
パソコンとサッカーか。
ここでぼくの中で生まれた一つの疑問。
(この子、日本語はできるのか?)
「イルボンマル アラヨ?」
首を横に振る。
(まあ、勉強してるとこだしな)
「クロン ヨンオ アラ?」
再度首を横に振る。ぼくの顔はひきつる。とゆうことはなにか?おれのつたない韓国語能力でコミュニケ?トしろと?しかし、ここで救世主の存在を思い出す。
「辞書だ!」
ああ、ありがとう、振興院。思えばこの旅は、辞書がなければやっていけなかったと思う。
それから、辞書でのやり取りにもなれ、お互いの壁を少しずつはがしていった。
翌日、みんなと集合して一言
「どうやった?」
みんな結構仲良くやってきたようだ。その日の観光で、バスに何人かのパートナーが乗って一緒に観光することになった。残念ながらぼくのパートナーはいけなかったが、そこで運命的な出会いをした。土井君のパートナーのソヌだ。彼は英語がとても達者で、こちらの伝えたいことがすぐに伝わり、とてもやりやすく、またすぐになかよくなった。
(ああ、英語はほんとに公用語なんだな…)
とにかく、このソヌと出会ってからというもの、旅が断然かいてきになった。
ソヌと話すときは、できるだけ韓国語を使い、わからなくなったら英語で伝える、という形で自然と韓国語、英語、両方の語学力がアップしていった。時間がたつのが早すぎて、別れのときはすぐにやってきた。別れで涙している女の子達を見ると、少し胸が痛んだ。
とにかく、掛け値なしに、あっという間の語学研修だった。
* この作文の一部は国際文化交流基金のフォーラム通信にのりました。その全文を本人の許可を得て載せたものです